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オヤケアカハチ : ウィキペディア日本語版
オヤケアカハチ

オヤケアカハチ(遠弥計赤蜂、於屋計赤蜂)は、沖縄県八重山諸島石垣島の大浜村(現在の石垣市大浜)を根拠地とした15世紀末の豪族である。
== 生涯 ==
オヤケアカハチの生誕地は波照間島で、幼少の頃から豪傑としての頭角を表していたという話があるが、不詳。波照間には生誕記念碑がある。
歴史資料上は大浜住人として登場する。妻は石垣村の長田大主の妹の古市。1500年、彼は島民の広範な支持〔 『長榮姓家譜大宗』「堀川原及赤蜂者二人、絶貢謀叛衆皆従之」〕を背景に、琉球王府への八重山からの朝貢を断たしめたが、2月13日〔 『球陽』「本年二月初二日、那覇開船し、八重山に赴き、赤蜂等を征伐す。大翁主大いに喜び、即ち小船に乗り、海に出でて迎接す。十三日、引きて八重山石垣の境に至る。大里等上岸す。」〕からの中山軍3,000人との戦いに敗北し、討ち取られた。これを、オヤケアカハチの乱と言う。
現地の口碑ではアカハチの居宅は現在の大浜公民館の辺りとされる〔「情報やいま」2000年10月号〕が、一部学者は「フルスト原遺跡」をオヤケアカハチの居城跡に比定している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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