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(n) Orient express =========================== ・ オリエント急行 : [おりえんときゅうこう] (n) Orient express ・ 急 : [きゅう] 1. (adj-na,n) (1) urgent 2. sudden 3. (2) steep ・ 急行 : [きゅうこう] 1. (n,vs) express (e.g., train that bypasses many stations) ・ 行 : [くだり, ぎょう] 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse
オリエント急行(オリエントきゅうこう、Orient Express, 初期には 〔Guizol〕)とはヨーロッパの長距離夜行列車、およびこれにちなんで名付けられた列車である。 == 概要 == オリエント急行の起源は国際寝台車会社(日本での通称「ワゴン・リ」社)により1883年に運行がはじめられたパリ - コンスタンティノープル(イスタンブル)間の列車(当時は一部船舶連絡)である。その後、西ヨーロッパとバルカン半島を結ぶ国際寝台車会社の列車群が「オリエント急行」を名乗るようになった。西ヨーロッパ側の起点はパリのほかフランスのカレーやベルギーのオーステンデなどがあり、バルカン半島側の終点はイスタンブルのほかギリシアのアテネやルーマニアのコンスタンツァ、ブカレストなどがあった。これらの列車は出発地や途中の経路により以下のように名付けられていた。 * オリエント急行 (Orient Express) : 1883年 - 2009年 * (イスタンブル行)カレー - パリ - ストラスブール(シュトラスブルク) - ミュンヘン - ザルツブルク - リンツ - ウィーン - ブダペスト - ベオグラード - ニシュ - ソフィア - イスタンブル(コンスタンティノープル) * (アテネ行)ニシュ - スコピエ - アテネ * (ルーマニア方面行) ブダペスト - ブカレスト - コンスタンツァ * オーステンデ・ウィーン・オリエント急行 (Oostende Wien Orient Express) : 1900年 - 1939年 * オーステンデ - ブリュッセル - ケルン - フランクフルト・アム・マイン - ニュルンベルク - リンツ(以下オリエント急行に併結) * シンプロン・オリエント急行 (Simplon Orient Express) : 1919年 - 1962年 * (イスタンブル、アテネ行) カレー - パリ - ローザンヌ -(シンプロントンネル)- ミラノ - ヴェネツィア - トリエステ - リュブリャナ - ザグレブ - ヴィーンコヴチ (Vinkovci) - ベオグラード(以下オリエント急行イスタンブル、アテネ行と同じ) * (ブカレスト行) ヴィーンコヴチ - オルソヴァ - ブカレスト * アールベルク・オリエント急行 (Arlberg Orient Express) : 1931年 - 1962年 * カレー - パリ - バーゼル - チューリッヒ -(アールベルクトンネル)- インスブルック - ザルツブルク(以下オリエント急行と同じ) * バルト・オリエント急行 (Balt Orient Express) : 1948年 - 1995年 * ストックホルム - トレレボリ (Trelleborg) -(連絡船)- オドラ・ポート(現シフィノウイシチェ) - ポズナン - ブダペスト - ブカレスト、ベオグラード。後に起点をベルリンに変更 * ダイレクト・オリエント急行 (Direct Orient Express) : 1962年 - 1977年 * パリ - イスタンブル、アテネ(経路はシンプロン・オリエント急行と同じ) * タウエルン・オリエント急行 (Tauern Orient Express) : 1966年 - 1979年 * ミュンヘン -(タウエルントンネル)- リュブリャナ(以下ダイレクト・オリエント急行と同じ) いずれも時期によって区間や経由地は少しずつ異なり、またこのほかにも途中駅での客車の併結、分割は多数行なわれていた。第二次世界大戦後は区間短縮や廃止が相次いでおり、2009年時点で残ったのはストラスブール - ウィーン間のオリエント急行のみであった。これは国際夜行列車ユーロナイトの一列車となっていたが、2009年12月14日に廃止された。 第二次世界大戦前まで、これらの列車は原則として国際寝台車会社の客車のみで編成されており、西ヨーロッパと東ヨーロッパ・アジアを結ぶ列車として、王侯貴族や外交官、裕福な商人や旅行者などに愛用された。車両の豪華さに限れば青列車(ル・トラン・ブルー)などの西ヨーロッパ圏内の豪華列車に比べ一段劣っていたものの、西ヨーロッパ人にとっては異文化圏である「オリエント」へ向かう列車として、また東ヨーロッパやアジアの上流階層の人々にとっては彼らと西ヨーロッパを結び付けるものとして名声を得た。 第二次大戦後は航空機の普及や東西冷戦のためこうした性格は失われ、列車は通常の二等車や三等車主体の編成に国際寝台車会社の寝台車が併結されるにすぎないものとなった。1971年には国際寝台車会社が寝台車事業から撤退し、寝台車は各国の鉄道事業者が保有するものとなった。 なお、上記以外の正式名称に「オリエント」のつかない列車でも、東西ヨーロッパを結ぶ列車のことをマスメディアなどが「オリエント急行」と呼ぶことがある〔平井 pp. 269-271〕。 一方で、1920年代から30年代の国際寝台車会社の車両を復元した観光列車が1970年代以降登場しており、これらも「オリエント急行」を名乗っている。主なものには以下がある(#オリエント急行を復元した観光列車で後述)。 * ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(ベニス・シンプロン・オリエント急行、Venice Simplon Orient Express, VSOE) - オリエント・エクスプレス・ホテルズ(現:ベルモンド)が1982年に運行をはじめたロンドンとイタリアを結ぶ観光列車。 * ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行 (Nostalgie Istanbul Orient Express, NIOE)、旧名ノスタルジー・オリエント急行 (Nostalgie Orient Express, NOE) - スイスの旅行会社インターフルーク社が1977年から運行を始めた観光列車。 * プルマン・オリエント急行 (Pullman Orient Express, POE) - フランスのアコーホテルズの傘下に入った国際寝台車会社が所有する列車。寝台車はなく昼行専用である。 さらにヨーロッパの列車とは特に関係のない観光列車の名称としても用いられている。これにはベルモンド社がバンコクとシンガポールの間で運行を行っている「イースタン・オリエント急行」(E&O)、アメリカン・オリエントエクスプレス社が所有する「アメリカン・オリエント急行」、メキシコを走行する「サウス・オリエント急行」、中華人民共和国を走行する「チャイナ・オリエント急行」、インドを走行する「ロイヤル・オリエント急行」が存在する(#アジアとアメリカの観光列車で後述)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オリエント急行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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