翻訳と辞書
Words near each other
・ オリエント時計
・ オリエント正教
・ オリエント美術
・ オリエント証券
・ オリエント貿易
・ オリエント郡区 (アイオワ州アデール郡)
・ オリエント郡区 アデール郡 (アイオワ州)
・ オリエン・グリーン
・ オリエーナ
・ オリエ津坂
オリエ津阪
・ オリオフィアット
・ オリオル・カレッジ
・ オリオル・カレッジ (オックスフォード大学)
・ オリオル・コレッジ
・ オリオル・ロサノ
・ オリオル・ロサーノ
・ オリオン
・ オリオン (いきものがかりの曲)
・ オリオン (仮装巡洋艦)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

オリエ津阪 : ウィキペディア日本語版
オリエ津阪[おりえ つさか]

オリエ 津阪(オリエ つさか、1912年12月24日 - )は、日本俳優松竹少女歌劇男役スターとして、1930年代のレビュー・ブーム期に同じ松竹の水の江瀧子宝塚少女歌劇小夜福子葦原邦子らと共に「男装の麗人」として人気を博した〔北村(1995)pp.47-48〕。松竹歌劇の黄金時代を築いた〔『松竹歌劇』第10号、p.56〕〔『週刊読売』1978年第49号、pp.43-46〕人物として水の江と並び称される。松竹退団後は劇団主宰などを経て1950年代初頭まで映画にも出演。その後は日本舞踊の師匠となり表舞台からは退いた。
== 経歴 ==

=== 生い立ち ===
1912年、秋田県秋田市下米町に添田浩道、貞夫妻の長女(一人娘〔)として生まれる〔『秋田市史』pp.743-744〕。本名は添田テフ〔。後に「順真〔(よしみ、『よし美〔『日本芸能人名事典』p.196〕』とも)」と改めている〔『週刊読売』1970年第21号、p.117〕。1921年に東京府王子区中野に移り住み、以後同地で育った〔。東洋高等女学校の5年次〔(または卒業直後〔)であった1929年、東京松竹楽劇部(のちの松竹歌劇団)第2期生募集の新聞広告を発見し、どのようなものか観劇した際にその華やかさに魅せられる〔。両親や親戚からは受験を反対されたがこれを説き伏せ〔、試験に合格し同年6月より東京松竹の一員となった〔。同期生には西条エリ子らがいた〔『レビューと共に半世紀』p.146〕。当初の芸名は「津阪織江(または織枝〔「織枝」としている資料や「織江」と「織枝」が混在している資料がある。〕)」〔。後に「ターキー」の愛称で一世を風靡する水の江瀧子は1期生であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オリエ津阪」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.