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オリエ津阪[おりえ つさか]
オリエ 津阪(オリエ つさか、1912年12月24日 - )は、日本の俳優。松竹少女歌劇の男役スターとして、1930年代のレビュー・ブーム期に同じ松竹の水の江瀧子や宝塚少女歌劇の小夜福子、葦原邦子らと共に「男装の麗人」として人気を博した〔北村(1995)pp.47-48〕。松竹歌劇の黄金時代を築いた〔『松竹歌劇』第10号、p.56〕〔『週刊読売』1978年第49号、pp.43-46〕人物として水の江と並び称される。松竹退団後は劇団主宰などを経て1950年代初頭まで映画にも出演。その後は日本舞踊の師匠となり表舞台からは退いた。 == 経歴 ==
=== 生い立ち === 1912年、秋田県秋田市下米町に添田浩道、貞夫妻の長女(一人娘〔)として生まれる〔『秋田市史』pp.743-744〕。本名は添田テフ〔。後に「順真〔(よしみ、『よし美〔『日本芸能人名事典』p.196〕』とも)」と改めている〔『週刊読売』1970年第21号、p.117〕。1921年に東京府王子区中野に移り住み、以後同地で育った〔。東洋高等女学校の5年次〔(または卒業直後〔)であった1929年、東京松竹楽劇部(のちの松竹歌劇団)第2期生募集の新聞広告を発見し、どのようなものか観劇した際にその華やかさに魅せられる〔。両親や親戚からは受験を反対されたがこれを説き伏せ〔、試験に合格し同年6月より東京松竹の一員となった〔。同期生には西条エリ子らがいた〔『レビューと共に半世紀』p.146〕。当初の芸名は「津阪織江(または織枝〔「織枝」としている資料や「織江」と「織枝」が混在している資料がある。〕)」〔。後に「ターキー」の愛称で一世を風靡する水の江瀧子は1期生であった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オリエ津阪」の詳細全文を読む
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