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オリャホヴォ
オリャホヴォ (ブルガリア語: / ''Oryahovo'')はブルガリア北西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。ヴラツァ州に属する。ドナウ川右岸に位置する港湾都市であり、丘陵地帯にある。オゴスタ川( / ''Ogosta'')河口の東に位置しており、対岸のルーマニアでジウ川がドナウ川に合流する地点から数キロメートル上流に位置している。ドナウ川を挟んで対岸にあるルーマニアの町ベケト(Bechet)とフェリーで結ばれている。地元企業によって川を渡る橋を建設する計画もある。 == 歴史 ==
=== 古代-中世 === 町の名前は歴史的に変遷しており、ヴルホフ(''Vrhov'')、オレゾフ(''Orezov'')、オレオフ(''Oreov'')、ラホヴォ(''Rahovo'')などの名前が、現在の名前となった1886年以前の文献に記されている。オリャホヴォを取り巻く地域は古代より人が居住しており、考古学的な調査により新石器時代初期から中世後期までの物品が見つかっている。カムカ( / ''Kamaka'')要塞はオリャホヴォから1キロメートルのところにあり、9世紀から14世紀まで存在していた。1396年、町は既にオスマン帝国に支配されていたが、フランス十字軍の侵入に遭い、町は略奪を受け、町に住むトルコ人は殺害されるか捕虜として捕らえられた。十字軍はニコポルを目指していた。十字軍側の失敗に終わったオスマン帝国との戦いであるニコポリスの戦いおよびヴァルナの戦い(Battle of Varna)の間、神聖ローマ帝国の皇帝ジギスムントとポーランドの王ヴワディスワフ3世の軍が要塞に侵入した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オリャホヴォ」の詳細全文を読む
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