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オルハン・パムク : ウィキペディア日本語版
オルハン・パムク


オルハン・パムク(Orhan Pamuk, 1952年6月7日 - )はトルコ作家。現代トルコを代表する小説家であり、故郷の町イスタンブルを舞台に、トルコの西欧化の問題をポストモダニズムとも言われる前衛的な作風で描くことで知られる。2006年ノーベル文学賞を受賞し、トルコ人で初のノーベル賞受賞者となった。代表的な作品に『白い城』『わたしの名は紅(あか)』『雪』『無垢の博物館』など。
== 来歴 ==
イスタンブルの裕福な家庭に生まれる。7歳から22歳のときまでは画家を志していた。ロバート・カレッジ・セカンダリー・スクールを卒業後、大学は当初イスタンブル工科大学で建築学を学んでいたが、その後執筆業志望に転向しイスタンブル大学ジャーナリズム科を卒業した。1982年、初めて書いた小説『ジュヴベット・ベイと息子たち』で文壇デビュー、同作はトルコの有力紙『ミリエット』のコンテストで一位となったうえ、トルコにおける文学賞の最高権威であるオルハン・ケマル賞を受賞した。1983年の次作『静かな家』ではマダラル賞を受賞。1985年の『白い城』はほとんどの西欧語に訳され、『ニューヨークタイムズ』で絶賛、『インデペンデント』紙の外国語小説賞を受けるなど国際的な知名度を高めた。国内でベストセラーとなった『黒い書』(1990年)、『新しき人生』(1994年)も海外で評判となる。
1998年の『わたしの名は紅』は国外各紙の書評で大きく取り上げられて国際的ベストセラーとなり、フランスの最優秀海外文学賞、アイルランドの国際IMPACダブリン文学賞、イタリアのグリンザーネ・カブール市外国語文学賞を受賞するなど高い評価を受けた。同作品は16世紀イスタンブルの細密画の世界を舞台にしたミステリ仕立ての長編で、しばしばウンベルト・エーコの『薔薇の名前』と比較されている。同年、25年間の執筆活動における随筆、評論をまとめた『他の色』を刊行。2002年の『』はトルコ北東、アルメニアとの国境付近の町カルスを舞台にした、著者自身が最初で最後と称する政治小説で、前作をさらにしのぐベストセラーとなった。2005年には同作でフランスのメディシス賞外国小説部門を受けている。2003年、自伝的作品『イスタンブル』を発表。
2005年、スイス紙へのインタビューにおいて、国内でタブー視されているアルメニア人虐殺問題に関し、政府は100万人のアルメニア人と3万人のクルド人を虐殺した事実を認めるべきだと発言したとして国家侮辱罪に問われ、世界のメディアから注目を浴びた(2006年1月に不起訴)。国際的に認知される有名作家パムクの発言はトルコの欧州連合(EU)加盟問題に関わるトルコの人権問題にも波及した。パムク自身は、長年タブー扱いされていた問題も触れられるべきだという意図で行った発言が歪曲されてしまったとしている。
2005年、フランクフルト・ブックフェアにて平和大賞を受賞。2006年、「故郷の街のメランコリックな魂を探求する中で、文明の衝突と混交との新たな象徴を見出した」("who in the quest for the melancholic soul of his native city has discovered new symbols for the clash and interlacing of cultures")〔The Nobel Prize in Literature 2006 , Nobelprize.org(2013年9月3日閲覧)〕としてノーベル文学賞を受賞。トルコ人のノーベル賞受賞は史上初であった。2008年、受賞第一作『無垢の博物館』を発表。近代化の波が押し寄せるイスタンブルを舞台にした恋愛小説であるが、2012年春にはパムク自身によって、作品世界とリンクした同名の博物館がイスタンブルにつくられた。パムクは当初から小説と現実の博物館を一体のものとして構想しており、同博物館は小説の内容に沿って展示が行われると同時に、1950年代から半生記にわたるイスタンブルの市民の生活を再現するものとなっている。ノーベル賞の賞金は同博物館の設立のためにつぎ込まれたという。〔「無垢の博物館:ノーベル賞作家オルハン・パムクさん、イスタンブールに 小説と博物館が一体に? 」『毎日新聞』東京夕刊、2012年06月25日付(2013年9月3日閲覧)〕
コロンビア大学客員教授(1985年 - 1988年)を経て、2006年に同大学の中東言語文化学科教授に就任(2006年 - )。この間、writer-in-residenceとしてバード大学にも3年間在籍している。
パムクは日本の作家も英訳を通してよく読んでおり、特に西欧化に耽溺しながら後に失望し自国の古典に回帰した谷崎潤一郎に共鳴するとしている。2004年には初来日を果たした。
日本での版元である藤原書店と信頼関係を築いており、来日の際は書店の人々と小さな焼き鳥屋で歓談するのが恒例となっているという。(藤原書店PR誌「機」の記述より)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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