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オレグ・ヨシフォヴィチ・マイセンベルク(Олег Иосифович Ма́йзенберг、1945年4月29日 - )はウクライナ出身のピアニスト。 == 経歴 == オデッサのユダヤ系の家庭に生まれる。5歳で母親からピアノの手ほどきを受け、キシネフ中央音楽学校ならびにモスクワ・グネーシン音楽学校に学ぶ。1967年にウィーン国際シューベルト・コンクールに準優勝し、同年ウィーンの20世紀音楽コンクールで優勝する。1971年から1980年まで定期的に、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団などのソ連国内の著名なオーケストラと共演する。 1981年にソ連を脱出してウィーンに亡命、この地を第二の故郷と定める。 多くの時間を室内楽の演奏や歌曲の伴奏に割き、ヘルマン・プライ、ロベルト・ホル、ハインツ・ホリガー、ザビーネ・マイヤー、アンドラーシュ・シフ、カプソン兄弟(ルノーとゴーチエ)らと共演する。一方で、ギドン・クレーメルとの協力関係はロシア時代からのものであった。 ザルツブルク音楽祭、ロッケンハウス音楽祭、ルツェルン音楽祭、エジンバラ音楽祭、モスクワ・スヴャトスラフ・リヒテル音楽祭など、世界中のさまざまな音楽祭にも参加しており、また世界各地でリサイタルを開いている。 レパートリーは幅広く、シューベルトやシューマン、リストといったドイツ・ロマン派音楽や、スクリャービンやラフマニノフといったロシア音楽、ストラヴィンスキーや新ウィーン楽派、ミヨーといった近代・現代音楽を得意とする。レパートリーはすべての時代を踏破しているが、マイセンベルクはロマン派音楽に著しい偏愛を示している。 1985年からシュトゥットガルト高等音楽学校のピアノ科教授を務め、1998年にはウィーン音楽大学ピアノ科教授に転任した。世界各地でマスタークラスを開催しつつ、(チューリッヒ・ゲザ・アンダ国際コンクール、ヴヴェー・クララ・ハスキル国際コンクールなど)数々の世界的なコンクールで審査員を務めている。1995年にウィーン・コンツェルトハウス協会より名誉会員に選ばれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オレグ・マイセンベルク」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Oleg Maisenberg 」があります。 スポンサード リンク
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