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オースチン・ヒーリー100 : ミニ英和和英辞書
オースチン・ヒーリー100[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オースチン・ヒーリー100 : ウィキペディア日本語版
オースチン・ヒーリー100[ちょうおん]
オースチン・ヒーリー100は、1953年から1956年の間に、ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)により製造されたスポーツカーである。日本ではヒーレー表記発音されることも多い。
「100」(ハンドレッド)は後に「ビッグ・ヒーリー」と呼ばれることとなる〔「カニ目」ことオースチン・ヒーリー(ヒーレー)・スプライトの誕生で区別が必要となった。〕3タイプ中の最初のモデルにあたる。後継の「100-6」(ハンドレッド・シックス)は、寸法、外観、メカニズムの点で「100」よりも最終型の「3000」と多くの共通点を持った別モデルである。
この車は、ドナルド・ヒーリーにより、ウォリックワーウィックとも)にあった彼の小さな会社において、オースチンA90アトランティック(Austin Atlantic 英語版)のメカニズムを元にして開発された。ヒーリーは1952年のロンドンモーターショー〔2006年からロンドンで開催されている英国国際モーターショーとは異なる。〕に向け1台のヒーリー100を製作。そのデザインオースチン社長であったレナード・ロードに大きな感銘を与え、オースチンのロングブリッジ工場量産される契約がヒーリーとの間に結ばれ、その車は「オースチン・ヒーリー100」と改名された。
「100」という名は、ドナルド・ヒーリーが名付けたものだが、これはこの時代にはほとんど存在しなかった、100 mph時速100マイル) を達成できる車両であることに由来する。それに対し、後継である「オースチン・ヒーリー3000」の名は、搭載していた直列6気筒の 3,000 cc エンジンに由来している。
== 100(BN1、BN2) ==

オースチン・ヒーリー100の生産は、オースチンのロングブリッジ工場においてA90のラインの隣で行われ、ベースとなったA90のシャーシに、ウェスト・ブロムウィッチにあったジェンセンにて製作、塗装がされたボディを載せて仕上げられた。以前この両社は、オースチンA40スポーツの開発計画を共同で進めていた。
最初の100(シリーズBN1)は、A90と同じ90 hp(67 kW )のエンジンマニュアルトランスミッションを装備していたが、トランスミッションは3速ユニットに、2速と3速にオーバードライブを持つようモディファイされている。2,660 cc の水冷直列4気筒エンジンは、アンダースクエアとなる87.3 mmボアと111.1 mm のストロークが特徴である。
足回りは、ガーリング11インチ(279.4 mm )ドラムブレーキが4輪に装着され、フロントサスペンションコイルスプリングを使った独立懸架、リアは半楕円リーフスプリングリジッドアクスルを採用。ステアリングカムレバー式である。
生産1953年10月に始まり、1955年半ばにBN2モデルへ変わった。BN1とBN2との違いは、僅かに大きなフロントホイールアーチ、リアアクスル、BN1にはオプションで2トーン塗装があったことである。100で選べた色には、リノレッド、スプルースグリーン、ヒーリーブルー、フロリダグリーン、オールドイングリッシュホワイト、プリムローズイエロー、黒、そして限定のガンメタルグレーがあった。
1953年、ドナルド・ヒーリー モーターカンパニーはワークス体制で2台の100をル・マン24時間レースに出場させ、総合12位、14位を獲得した。それに合わせて110 hp(82 kW)を発揮する高性能モデルの100Mが開発され、640台限定で作られた。「M」はル・マン(Le Mans)意味する。100Mはフロントサスペンションが強化され、ボンネットには製のボンネットベルトと共に排熱用のルーバーが加えられた。エンジンは、キャブレターへのエアフローを増やすためのコールドエアボックスが、より口径の大きな1-3/4SUキャブと共に装着されている。
もう一つの限定車として、50台が市販されたアルミボディと132 hp(98 kW)エンジンを持つ100Sがある。鋳鉄シリンダーヘッドはアルミヘッドに換装され、オーバードライブユニットが外されていた。そしてダンロップ製のディスクブレーキを前後に装着している。車重を最低限にするため、バンパーあるいはフード(コンパーチブルトップ)がなく、フロントグリルは小さな物を使い、ウインドシールドスクリーンはプラスチック製の物に改められた。この100Sは、前後にスポーツディスクブレーキを備えた、世界初の市販車でもあった。軽量化の結果、重量は標準車より91 kg 軽くなっている。大多数の100Sは白に青のサイドを持つ2トーンカラーだった。しかし、少量がスプルースグリーン、リノレッドでオーダーされ、また1台のみ全て黒の100Sがある。
この他にドナルド・ヒーリー・モーターカンパニーでハンドメイドによるワークスカーが5台製作された。
これらの直列4気筒モデルは全てホイールベース90インチの2シーターである。
The Motor 誌(英語版)が1953年に行ったテストで、BN1は106 mph(171 km/h )の最高速と、0-60 mph(97 km/h)加速で11.2秒を記録。燃料消費は1英ガロンあたり22.5マイル(12.6 L / 100 km、18.7 mpg(アメリカガロン))。テスト車は込み1063ポンドであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オースチン・ヒーリー100」の詳細全文を読む




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