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オースチン装甲車 : ミニ英和和英辞書
オースチン装甲車[おーすちんそうこうしゃ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
装甲 : [そうこう]
  armoured 
装甲車 : [そうこうしゃ]
 【名詞】 1. armoured vehicle 2. armored vehicle
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

オースチン装甲車 : ウィキペディア日本語版
オースチン装甲車[おーすちんそうこうしゃ]

オースチン装甲車(おーすちんそうこうしゃ)は、第一次世界大戦中にイギリスオースチン社が開発した装輪装甲車である。もともとはロシア帝国の発注で生産されたが、ロシア帝国軍・ロシア内戦中の両陣営のほか、イギリス陸軍日本陸軍などでも使用された。オースチン装甲自動車
==開発==
第一次世界大戦勃発直後の1914年8月に、ロシア帝国は装甲車部隊の編成を決め、自国での量産は困難であることから外国に発注することとした〔アメリカのメーカーにも発注しようとしたが、密閉式車体と双砲塔型という要求仕様に適合するものがなかった。〕。これに応じてオースチン社が開発したのが、オースチン装甲車1型である。乗用車をベース車両として装甲板をねじ止めし、ロシア側の要求仕様に応じて並列した2つの銃塔マキシム機関銃を装備していた。さっそく1914年9月29日に48両が発注された。価格は1両あたり1150ポンドだった。
1型の実戦投入の結果、装甲が脆弱なことが判明し、現地で装甲強化がされたが、大幅な重量増加と走行性能低下を生じた〔それでもアームストロング・ホイットワース社などの装甲自動車よりは優秀であった。〕。そのため、より大馬力のトラックを原型とした改良型が開発されることとなり、1915年3月に2型として60両が発注された。装甲強化などが行われたが、後部ドアの廃止は運用部隊では歓迎されず、引き渡し後の現地で後部運転席とハッチを追加するなどの改修が加えられた。後部運転席を最初から備えた3型も1916年8月に発注され、生産された。翌1917年には、さらなる改良型であるいわゆる1918年型が発注されたが、引き渡し前にロシア革命が発生し、ロシアへは輸出されなかった。
また、1916年には、ロシア帝国は自国でもオースチン装甲車を製造することにした。ベースとなる車体はオースチン社から輸入し、自国で生産した上部構造物と合わせて組み立てる方式だった。上部構造はサンクトペテルブルクのプチロフ工場が生産を担当したため、一般にプチロフ型として知られる。1917年7月までに組み立てる計画だったが、ロシア革命の影響で工場の機能が麻痺し、1918年3月になってようやく最初の1両が完成した。後に生産拠点はイゾルスキー工場(Izhorski Works)へと移され、1920年までに総計33両が完成した。さらにベース車体をケグレッセ式(:en:Kégresse track)の半装軌車に変更した型も生産され、1919~1920年に12両が完成している。
なお、第一次世界大戦後のイギリスでは、米国のピアレス社製のトラックをベース車両として、オースチン装甲車の設計を流用したピアレス装甲車(en)が製造されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オースチン装甲車」の詳細全文を読む




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