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本項では、オーストラリアの歴史(オーストラリアのれきし)について記述する。 地理的に他の大陸から隔絶されたオーストラリアは、長きにわたって西洋文明の影響を受けずにいたが、度重なる航海の結果、その存在はヨーロッパの人々の知るところとなった。はじめ流刑植民地とされた同地は、1851年の金鉱発見以来、一攫千金を夢見る多くの人々を惹き付けた。こうした過程で侵略者と先住民の、あるいは侵略者や移民同士の軋轢を経験しつつ、オーストラリアはヨーロッパ人が侵略し植民地にした国から連邦国家へと変貌を遂げるに至った。 連邦成立後は、旧宗主国イギリスと新興国アメリカ合衆国との狭間で揺れながらも独自性の模索を続け、主にアジア地域との関係強化を図っている。 ==前史== 約5万年前、更新世末期のオーストラリア大陸は、現在に比べて海水面が100m以上低かったため、ニュー・ギニア島やタズマニア島を包含していた。また、ジャワ島やスマトラ島、ボルネオ島はアジアと地続きになり、スンダランド (Sundaland) の一部を構成していた。このため、両者を分かつ海域は現在に比して狭く、航行も比較的容易であった。オーストラリア先住民、いわゆるアボリジナル (aboriginal) はこの頃、スンダランドから海を渡ってオーストラリアに到来したものとみられている。アボリジナルは長くオーストラロイドに分類されてきたが、遺伝子の分析や頭蓋骨の測定の結果から、広義のモンゴロイドに属するとの見方が浮上し、オセアニア系モンゴロイドに分類されるようになった〔藤川隆男ほか『オーストラリアの歴史』p.3〕。さらには従来の「人種」の概念を否定したより新しい人類集団の分類では、ニューギニアのパプア人と同じくサフール人に分類され、広くは従来モンゴロイドとされた東ユーラシア人(東・東南アジア人)及び南北アメリカ人(アメリカ先住民)と共に「環太平洋人」とする新しい学説もある。 更新世以後長きに亘り、オーストラリアの歴史はアボリジナルの歴史となるが、詳しいことは判っていない。遺構から発見された人骨や洞穴に描かれた絵画、語り継がれた神話から推し量る以外に術はない。オーストラリアが歴史の舞台に現れるのは、西洋人との接触の時代まで待たねばならない。 2世紀に描かれたプトレマイオスの世界地図が示すように、西洋の人々は古くから、南方に大陸が存在するとの考えを持っていたようであるが、彼らがオセアニアの海域に到来するのはいわゆる大航海時代になってからのことである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オーストラリアの歴史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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