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オーストリア自由党(オーストリアじゆうとう、Freiheitliche Partei Österreichs、略称:FPÖ)は、オーストリアの極右政党。現在の党首はハインツ=クリスティアン・シュトラーヒェ w:Heinz-Christian Strache。 「自由党」を名乗るが、自由主義政党というよりも、極右ポピュリズム政党、ドイツ民族至上主義政党の性格が強い。これは、同党が第一共和国時代において「''ドイツ民族主義派 ''」と呼ばれた「農民同盟」・「大ドイツ人党」・「護国団」などの大ドイツ主義的な小政党の連合体に由来するところが大きい。ドイツ民族主義派は、ナチスとは民族主義では共通するものの、その政治思想からむしろ競合関係にあったが、アンシュルスの過程においてある部分はナチスに合流し、ある部分は弾圧を受けた。戦後、大ドイツ主義派が合同して再建を目指す動きがあったものの、ドイツ民族主義そのものへの世論の反感や連合国側の警戒から合同に成功したのは1956年の事であり、旧ナチス関係者からオーストリア社会党と連立政権を組むオーストリア国民党に反発する自由主義的な保守層までを内含した政党として発足した。現在の自由党の政策の中にも、出入国管理強化やより厳格な法の執行、家族を保護するための基金の創設などに右派政党としての性格が現れている。 1986年、ケルンテン州代表であったイェルク・ハイダーが党首に就任する。ハイダーは党内の有力者や自由主義者を党から排除し、党の右傾化を促進した。2000年には国民議会選挙で躍進し、オーストリア国民党と連立政権を組み、ヴォルフガング・シュッセル内閣を組織した。 2005年4月、ハイダーが自由党を離党、新党「オーストリア未来同盟」(BZÖ)を結成した。このとき自由党に所属していた18人の国民議会議員のうち16人がハイダーと行動をともにしており、自由党は分裂によって国民議会での議席を大幅に失ったが、国民議会選挙において2006年に21議席、2008年は34議席、2013年9月では40議席と党勢を回復しつつある。 == 靖国神社参拝 == 2010年8月14日、日本の右翼民族派団体である一水会の招きにより、オーストリア自由党は党員を日本に派遣、その他一水会に招かれたフランスの極右政党である国民戦線ジャン=マリー・ルペン党首ら、欧州8か国、9つの政党の代表などで構成された訪日団は合同で靖国神社に参拝した〔欧州の極右政党代表団が靖国神社を参拝 - ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 〕〔仏・極右政党党首ら、靖国神社を参拝 - TBS News-i Youtube公式動画 〕〔「世界平和をもたらす愛国者の集い」開催!! - 一水会活動最新情報! 〕。 同日、中国国営通信の新華社は靖国神社を参拝した欧州各国の政党訪日団に対して批判する論評を配信した〔「ファシズムの宣伝」と批判=欧州極右政治家の靖国参拝に-新華社 - 時事通信 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オーストリア自由党」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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