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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
オースミグラスワン () は日本の元競走馬。馬名の由来は冠名に父グラスワンダーの名前の一部を付加したもの。半姉に重賞4勝を挙げたオースミハルカがいる。おもな勝ち鞍に新潟大賞典。 == 戦績 == デビュー戦で勝利をあげ、その後1戦したあと長期休養に入る。休養明け3戦目で勝利をあげるとその後は順調に勝利を重ね、松籟ステークスを勝利するまで8連続連対を記録し、オープン入りを果たす。初の重賞挑戦となった中京記念で9着となり連対記録は途絶えたが、その2戦後、2回目の重賞挑戦となった新潟大賞典で重賞初勝利をあげる。 その後GIの天皇賞(秋)挑戦を含め重賞を中心に出走したが2年近く勝利をあげられず、3着が精いっぱいという不調に陥る。しかし2008年に入って2戦目、川田将雅を鞍上にむかえた大阪城ステークスでひさびさの勝利をあげると、マイラーズカップでは9着に敗れるも、続く新潟大賞典では上がり3ハロン31秒9というタイムを記録して重賞2勝目をあげた。秋はGIに再挑戦したが、天皇賞(秋)では7着、続くジャパンカップでも11着に敗れた。 明け7歳となった2009年はまず連覇が懸かった大阪城ステークスに出走、単勝1番人気に推されたが3着に終わった。続くマイラーズカップでは最後方から追い込むものの4着に敗れた。次に連覇を懸けて新潟大賞典に1番人気で出走。道中は後方で待機し、最後の直線で馬場の外側から追い上げたが8位入線にとどまり、さらに斜行によりハイアーゲームの走行を妨害したとして10着に降着となった。結局これが最後のレースとなり、翌2010年3月10日付けで日本中央競馬会 (JRA) の競走馬登録を抹消され、引退した。 引退後は新潟競馬場において乗馬となり〔、2011年からは当地で誘導馬を務めていた。2014年に誘導馬を引退し、忍者ホースクラブで乗馬として過ごしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オースミグラスワン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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