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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
オースミタイクーンとは日本の元競走馬、種牡馬である。おもな勝ち鞍は1997年マイラーズカップ・セントウルステークス。年齢は旧表記とする。 半兄に1991年ダービーステークス、アイルランドダービー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス優勝のジェネラス(父カーリアン)、半妹に2001年アイリッシュ1000ギニー・イギリスオークス優勝のイマジン(父サドラーズウェルズ)がいる。 ==戦績== その血統面からデビュー前より評判となり〔1994年1月日刊スポーツ〕、圧倒的人気の中1994年1月の新馬戦を6馬身差の大勝。前評判通りの走りを見せる。しかし次走後に骨折を発症、1年以上に及ぶ戦線離脱となり4歳シーズンを棒に振る。 1995年4月の復帰後は順調に条件戦を勝ち進み12月にオープン昇格を果たす。翌1996年東京新聞杯では落馬の影響を受け10着大敗、さらにマイラーズカップでは道中不利から6着敗退など不運もあったが、昇格後も勝ち鞍を重ねた。 しかし栗東ステークス1着以降、GI級馬の揃ったレースではいずれも相手にならず3連続2桁着順と苦戦、7月の宝塚記念10着後放牧休養へと出された。 1997年マイラーズカップにて戦線復帰も、休み明け・重賞未勝利等不安要素から11番人気と人気を下げていた。だが、周りをあざ笑うかのように直線鋭く抜け出し優勝、鞍上の武幸四郎は前日にデビューしたばかりで、初勝利が初重賞制覇として当時のメディアで話題になる〔1997年3月3日日刊スポーツ・スポーツニッポン・サンケイスポーツ〕。同馬の手綱は以後全て武幸四郎により取られ、この年の秋にセントウルステークスも制し2つ目の重賞タイトルを獲得、有馬記念では5着に入り健闘した1年となる。 現役最終年となる1998年は勝ち鞍こそ上げられなかったが、京王杯SCでGI馬タイキシャトルに僅差の2着まで迫るレースぶりを見せ中距離路線の一員として長く活躍する。最後は有馬記念にてレース中に右前屈腱炎を発症し高齢のためそのまま現役引退〔オースミタイクーン種牡馬に 〕、静内スタリオンステーションで種牡馬入りとなった。 良血馬であったが、父ラストタイクーンの日本での産駒成績が期待外れだったこと、重賞2勝がともに人気薄だったことなどから種牡馬としての人気は低く、2年目以降は毎年一桁の種付け数にとどまった。2004年に静内スタリオンステーションが閉鎖されて以降の動向は判然としないが、配合相手が青森県の牧場の所有馬に集中していることから、青森で繋養されていたと見られる。2007年に種付け頭数がゼロになり、同年10月1日付で用途変更となった。活躍馬は出せなかったが、2005年生まれの牝馬トレジャースマイルは、額にハート型の流星があったことから、「ハート馬」として岩手競馬のアイドル的人気を得た〔ハート娘、トレジャースマイルがデビュー 〕〔岩手競馬のアイドルホース「トレジャースマイル」惜しまれつつ引退 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オースミタイクーン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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