翻訳と辞書
Words near each other
・ オーストン・イングリッシュ
・ オースト・ハウス
・ オースト=フランデレン州
・ オースト=フラーンデレン州
・ オースマン・サンコン
・ オースミ
・ オースミイチバン
・ オースミグラスワン
・ オースミシャダイ
・ オースミジェット
オースミタイクーン
・ オースミダイドウ
・ オースミダイナー
・ オースミハルカ
・ オースミブライト
・ オースミムーン
・ オースミレパード
・ オースラー-ウェーバー-ランデュ病(症候群)(遺伝性出血性毛細血管拡張症)
・ オースラー結節(感染症心内膜炎にみられる)
・ オースリー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

オースミタイクーン : ミニ英和和英辞書
オースミタイクーン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オースミタイクーン : ウィキペディア日本語版
オースミタイクーン[ちょうおん]

オースミタイクーンとは日本の元競走馬種牡馬である。おもな勝ち鞍は1997年マイラーズカップセントウルステークス年齢は旧表記とする。
半兄に1991年ダービーステークスアイルランドダービーキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス優勝のジェネラス(父カーリアン)、半妹に2001年アイリッシュ1000ギニーイギリスオークス優勝のイマジン(父サドラーズウェルズ)がいる。
==戦績==
その血統面からデビュー前より評判となり〔1994年1月日刊スポーツ〕、圧倒的人気の中1994年1月の新馬戦を6馬身差の大勝。前評判通りの走りを見せる。しかし次走後に骨折を発症、1年以上に及ぶ戦線離脱となり4歳シーズンを棒に振る。
1995年4月の復帰後は順調に条件戦を勝ち進み12月にオープン昇格を果たす。翌1996年東京新聞杯では落馬の影響を受け10着大敗、さらにマイラーズカップでは道中不利から6着敗退など不運もあったが、昇格後も勝ち鞍を重ねた。
しかし栗東ステークス1着以降、GI級馬の揃ったレースではいずれも相手にならず3連続2桁着順と苦戦、7月の宝塚記念10着後放牧休養へと出された。
1997年マイラーズカップにて戦線復帰も、休み明け・重賞未勝利等不安要素から11番人気と人気を下げていた。だが、周りをあざ笑うかのように直線鋭く抜け出し優勝、鞍上の武幸四郎は前日にデビューしたばかりで、初勝利が初重賞制覇として当時のメディアで話題になる〔1997年3月3日日刊スポーツ・スポーツニッポン・サンケイスポーツ〕。同馬の手綱は以後全て武幸四郎により取られ、この年の秋にセントウルステークスも制し2つ目の重賞タイトルを獲得、有馬記念では5着に入り健闘した1年となる。
現役最終年となる1998年は勝ち鞍こそ上げられなかったが、京王杯SCでGI馬タイキシャトルに僅差の2着まで迫るレースぶりを見せ中距離路線の一員として長く活躍する。最後は有馬記念にてレース中に右前屈腱炎を発症し高齢のためそのまま現役引退〔オースミタイクーン種牡馬に 〕、静内スタリオンステーションで種牡馬入りとなった。
良血馬であったが、父ラストタイクーンの日本での産駒成績が期待外れだったこと、重賞2勝がともに人気薄だったことなどから種牡馬としての人気は低く、2年目以降は毎年一桁の種付け数にとどまった。2004年に静内スタリオンステーションが閉鎖されて以降の動向は判然としないが、配合相手が青森県の牧場の所有馬に集中していることから、青森で繋養されていたと見られる。2007年に種付け頭数がゼロになり、同年10月1日付で用途変更となった。活躍馬は出せなかったが、2005年生まれの牝馬トレジャースマイルは、ハート型の流星があったことから、「ハート馬」として岩手競馬アイドル的人気を得た〔ハート娘、トレジャースマイルがデビュー 〕〔岩手競馬のアイドルホース「トレジャースマイル」惜しまれつつ引退 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オースミタイクーン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.