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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
有限会社オープロダクションは、アニメーション制作のうち、作画作業の請負を主な事業内容とする日本の企業。アニメーション事業者協会会員。 == 概要・沿革 == 1970年5月にハテナプロ出身のアニメーターの塩山紀生、村田耕一、小松原一男、米川功真らによって設立された。当初は塩山が社長を務め、1年後塩山が退社、その跡を継ぎ村田が社長に就任した。当初はAプロダクションと東映動画のテレビシリーズを手がけ、1980年代までは、小松原を中心とした東映動画班と、「世界名作劇場」などを手がける村田、才田俊次らの日本アニメーション班で両社作品に参加した。その他、作画プロダクションとしてスタジオジブリ、マッドハウスなど多くのスタジオの作品に参加している。 アニメーターとして、友永和秀、丹内司、長崎重信、高坂希太郎、後にアニメ監督になる飯田つとむ(飯田馬之介)、漫画家の高橋春男〔村田耕一 Koichi Murata OH!プロダクション公式サイト〕〔OH!-Pro BBS 2008年12月28日 OH!プロダクション公式サイト内。同社社長なみきたかしの証言〕なども在籍した。 テレビアニメーション以外でも、個人のアニメーション作家としても活動した相原信洋、アニメーション同好会アニドウ(アニ同)代表のなみきたかし、後に評論家となる五味(富沢)洋子なども在籍していた。1975年からはズイヨー映像の「アルプスの少女ハイジ」で仕事を共にしたアニメーション監督の高畑勲を招いて宮沢賢治原作の「セロ弾きのゴーシュ」を7年がかりで自主制作で長編アニメ化。これにより、1981年度の毎日映画コンクール大藤信郎賞を受賞している〔毎日映画コンクール:コンクールの歴史 第36回 - 毎日新聞〕。 2006年、村田の死去に伴いなみきが社長に就いた。2007年時点での在籍者は35名で全てアニメーターである。2008年4月に東京都杉並区天沼から荻窪に本社移転。 社名の由来は設立当時に発行されていた平凡出版(現・マガジンハウス)の男性誌『PocketパンチOh!』から〔五味洋子「アニメーション思い出がたり その54 アド5からオープロへ 」 WEBアニメスタイル 2009年4月17日。〕。「オープロダクション」「OH!プロダクション」「OHプロ」ともクレジットされることがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オープロダクション」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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