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カイア・カネピ : ミニ英和和英辞書
カイア・カネピ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


カイア・カネピ : ウィキペディア日本語版
カイア・カネピ

カイア・カネピKaia Kanepi, 1985年6月10日 - )は、エストニアタリン出身の女子プロテニス選手。4大大会女子シングルスで5度ベスト8に入り、当地のテニス選手として最高成績を出した選手である。これまでにWTAツアーでシングルス4勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス15位、ダブルス106位。身長181cm、体重74kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
== 来歴 ==
1991年バルト三国ソビエト連邦から独立し、それに伴ってソ連崩壊が起きた時、カネピはまだ6歳であった。それから2年後、カネピは8歳で家族とともにテニスを始め、2000年からプロテニス選手になった。プロ転向後、カネピは直ちに女子テニス国別対抗戦・フェドカップエストニア代表選手に選ばれた。彼女は2002年全豪オープンから4大大会の予選会に挑戦を始めたが、なかなか本戦出場に手が届かない時期が長かった。(予選会は、3試合を勝ち抜かないと本戦出場権を得られない。)その間、カネピは2004年アテネ五輪にエストニア代表選手として出場したが、シングルス・ダブルスとも1回戦敗退に終わっている。
21歳を迎えた2006年から、カイア・カネピは女子ツアー大会で成績を伸ばし始める。2006年全仏オープン以後、彼女は4大大会本戦に直接出場する力をつけた。全米オープンで初めて3回戦に勝ち進み、ビルジニ・ラザノフランス)に 5-7, 2-6 で敗れる。11月第1週のベルギー・ハッセルト大会で、カネピは予選から勝ち上がり、初めて女子ツアー大会の決勝に進出した。決勝では第1シードのキム・クライシュテルスとフルセットを戦い、3-6, 6-3, 4-6 で敗れて準優勝になった。
2007年全豪オープンでは、カネピは1回戦で第28シードのフラビア・ペンネッタイタリア)を破ったが、続く2回戦で地元オーストラリアアリシア・モリクに敗れた。それからしばらく4大大会で好成績がなく、シングルス1・2回戦止まりが続いていた。2008年全仏オープンにおいて、カネピはエストニアのテニス選手として史上最高成績を出した。2回戦で第6シードのアンナ・チャクベタゼロシア)を 6-4, 7-6 で破ると、続く3回戦・4回戦も勝ち進み、史上初のベスト8進出を成し遂げた。準々決勝では第4シードのスベトラーナ・クズネツォワロシア)に 5-7, 2-6 で敗れる。それから、彼女は北京五輪で2度目のオリンピックに出場し、シングルス3回戦で地元選手の李娜中国)に 6-4, 2-6, 0-6 の逆転で敗れた。同年秋のジャパン・オープンで来日し、2年ぶり2度目の女子ツアー決勝戦まで勝ち進んだが、決勝で第1シードのキャロライン・ウォズニアッキデンマーク)に 2-6, 6-3, 1-6 で敗れ、準優勝に終わった。
2009年全豪オープンで、カネピはエストニアの選手として史上初の4大大会シード選手入りを果たした。第25シードに選ばれた彼女は、1回戦で13年ぶりの4大大会本戦復帰を果たしたクルム伊達公子に 6-4, 4-6, 8-6 と苦戦した後、3回戦で第3シードのディナラ・サフィナロシア)に 2-6, 2-6 で敗れた。
2010年7月、カネピはイタリアパレルモ大会でフラビア・ペンネッタイタリア)に 6–4, 6–3 で勝利し、ツアー初優勝を果たした。ウィンブルドンでは予選から勝ち上がり1回戦で全仏準優勝者のサマンサ・ストーサーオーストラリア)を 6-4, 6-4 で破るなど快進撃を続け、 ベスト8に進出する。準々決勝ではペトラ・クビトバチェコ)に 6-4, 6-7, 6-8 で逆転負けを喫した。全米オープンでは第31シードとなり、3回戦で第4シードエレナ・ヤンコビッチセルビア)、4回戦で第15シードヤニナ・ウィックマイヤーベルギー)を破り、ウィンブルドンに続いてベスト8に進出。準々決勝ではベラ・ズボナレワロシア)に 3-6, 5-7 で敗れ4大大会初のベスト4進出はならなかった。
2011年9月の東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントでは3回戦で世界ランキング1位のキャロライン・ウォズニアッキデンマーク)に 7-5, 1-6, 6-4 で勝利した。カネピが世界1位の選手に勝利したのは初めてであった。10月のクレムリン・カップではツアー4度目の決勝に進出したが、ドミニカ・チブルコバスロバキア)に 6–3, 6–7(1), 5–7 で敗れた。
2012年の開幕戦ブリスベン国際ではノーシードから決勝に進出し、ダニエラ・ハンチュコバスロバキア)に 6–2, 6–1 で快勝しツアー2勝目を挙げた。5月のエストリル大会では決勝でカルラ・スアレス・ナバロを 3–6, 7–6(8–6),6–4 で破りツアー3勝目を挙げた。全仏オープンでは4年ぶりのベスト8に進出したが、足の怪我によりウィンブルドンロンドン五輪全米オープンを欠場した。4か月ぶりに復帰したソウル大会では決勝に進出したがキャロライン・ウォズニアッキに 1–6, 0–6 で完敗した。
2013年5月のブリュッセル・オープンでは決勝で彭帥を 6–2, 7–5 で破り1年ぶりのツアー4勝目を挙げた。ウィンブルドンでは3年ぶりにベスト8に進出した。準々決勝でザビーネ・リシキに 3-6, 3-6 で敗れた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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