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カウペンスの戦い(英:Battle of Cowpens)は、アメリカ独立戦争中の1781年1月17日にサウスカロライナのカウペンスで、ダニエル・モーガン准将指揮の大陸軍とバナスター・タールトン大佐指揮のイギリス軍の間で戦われた戦闘である。 この戦闘の結果、一度イギリス軍に奪われていたサウスカロライナを大陸軍が取り返す転換点となった。モーガン将軍の採った戦術は独立戦争中の戦術的傑作と後世に言われている。 尚、“''Cowpens''”とは「牛の放牧場」「牛舎のあるところ」の意味である。 == 背景 == カウペンスの戦いは、アメリカ独立戦争の南部戦線で数多く戦われた戦闘の一つであった。モーガンの証言によれば彼の部下は800名を超した程度に過ぎなかったとのことであるが、歴史家の調査では1,800名から2,400名の間であったという。モーガンの部隊には300名の大陸軍正規兵、オーバーマウンテン部隊を含む700名の古参民兵、約1,000名の未経験民兵に志願兵、それに騎兵の部隊が加わっていた。対するイギリス軍はタールトンの部下である王党派部隊約450名(騎兵250名と歩兵200名〔Babits, ''A Devil of a Whipping'', Page 46, 「カウペンスでのイギリス軍歩兵の戦力は200から271の間であった。」しかし、Page 175-176の記述では, 「カウペンスでのイギリス軍歩兵の戦力は約200名から250名と考えられるが、1780年12月25日に帰還した兵士は175名に過ぎなかった。1月15日にコーンウォリスが保有していた部隊は全体で450名、そのうち約250名が竜騎兵であった。」それゆえに歩兵の数を200名以上とする証拠はない。 〕 )第17軽装竜騎兵隊、砲兵大隊、第7擲弾兵連隊、第16連隊軽装歩兵中隊、第71高地連隊、などで約1,150名を超える程度であった。〔 All unit strengths from Babits, ''A Devil of a Whipping''.〕 チャールズ・コーンウォリスは、過去にキャムデンの戦いやワックスホーで成功を収めていたタールトンとその部隊に、モーガンの動きを封じるよう指示していた。タールトンのそれまでの勝利は、戦力で劣勢であるときでも大胆な攻撃で掴んできたものだった。大陸軍南部戦線の指揮官ナサニエル・グリーンは、イギリス軍との正面対決を避け、自軍を幾つかに分ける思い切った作戦を採り、モーガン隊も本隊からは遠く離れて行動していた。モーガンは部隊の兵士に馴染みのある目印となる牛の放牧場(Cowpens)に集まるよう命じた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カウペンスの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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