翻訳と辞書 |
カウント・オジー[ちょうおん]
カウント・オジー(Count Ossie , 1926年 - 1976年10月18日)、本名オズワルド・ウイリアムス (Oswald Williams) は、ジャマイカのセント・トーマス教区出身〔牧野直也著『レゲエ入門』(音楽の友社)によると、セント・アンドリュー教区のブル・ベイ近くのビト村出身となっている〕 のラスタファリアン、ドラム奏者、バンドリーダー。 == 概要 == 幼少の頃からラスタのコミュニティに育ち、そこでラスタの歌と太鼓を学ぶ。 1950年代後半に、彼は他の打楽器奏者達とカウント・オジー・グループを結成。プリンス・バスター によって多くの演奏が録音された。そのなかの一つ、フォークス・ブラザース「オー・キャロライナ (Oh Carolina)」は、1959年にリリースされた歴史上最初のレゲエの録音物とも言われている(当時レゲエという呼称はまだなかった)。この曲は、1993年にシャギーがリメイクして世界的なヒットとなった。この時期、ムーディズ・レーベルの創始者のハリー・ムーディ (Harry Mudie) とも組んで録音をしている。 その後、彼はミスティック・レベレーション・オブ・ラスタファリ (Mystic Revelation Of Rastafari)を結成し、2作のアルバムを残した。レコード3枚組〔後に発売されたCDは2枚組である。〕 の『グロウネーション (Grounation)』は、「オー・キャロライナ (Oh Carolina)」、「ソー・ロング (So Long)」、表題曲「グロウネーション (Grounation)」〔演奏時間がおよそ35分以上ある曲である。〕 の3曲が特に有名である。 1975年、『テイルズ・オブ・モザンビーク (Tales Of Mozambique)』 (Dynamic 1975) をリリースする。その翌年、1976年の10月に交通事故で亡くなる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カウント・オジー」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|