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カカウ(Cacau)ことクラウデミール・ジェロニモ・バレット(Claudemir Jerônimo Barretto, 1981年3月27日 - )は、ブラジル・サント・アンドレ出身のサッカー選手。元ドイツ代表。ポジションはフォワード。 2009年2月にドイツ国籍を取得し同年5月の中国との親善試合でドイツ代表デビュー、2010年に2010 FIFAワールドカップに出場した。 == 経歴 == === クラブ === 1994年から1997年にはSEパルメイラスの下部組織 に、その後はモギ・ダス・クルーゼスの下部組織 に在籍した。 ドイツで所属した最初のクラブは9部相当のリーグに所属する〔絶好調カカウ、9部リーグから独代表のスタメン定着へ BIGLOBEニュース、2010年5月15日〕SVテュルク・ギュジュ・ミュンヘンで、その後1.FCニュルンベルクのリザーブチームに移った。リザーブチームでの活躍が認められ、2001年11月18日のハンザ・ロストック戦でトップチームデビューすると、12月8日のバイヤー・レバークーゼン戦で初得点した。2001-02シーズンは17試合出場6得点で終えたが、2002-03シーズンは27試合に出場して2得点にとどまり、クラブはツヴァイテリーガ(2部)降格となった。2003年1月にVfBシュトゥットガルトへの移籍が内定し、同年夏に移籍した。2003-04シーズンはUEFAチャンピオンズリーグ4試合に出場した。2004-05シーズンはリーグ戦で12得点し、チーム2位の得点数を記録した。UEFAカップでは1回戦のウーイペシュトFC(ハンガリー)戦で2試合連続2得点を記録し、グループリーグ初戦のKSベベレン(ベルギー)戦でも2得点するなど、8試合すべてにフル出場して7得点を挙げた。2005-06シーズンは不本意なシーズンとなり、リーグ戦では4得点に終わったが、2006-07シーズンは鍵となる選手のひとりとなり、チーム2位の13得点を挙げてリーグ優勝に貢献した。特にバイエルン・ミュンヘン戦(2-0)での2得点、VfLボーフム戦(3-2)での決勝点など、シーズン終盤に重要な得点を挙げて大活躍した。このシーズンのDFBポカールでは6試合で5得点し、ボーフム(4-1)、ヘルタ・ベルリン(2-0)、VfLヴォルフスブルク(1-0)などを破って決勝に進出した。決勝の古巣1.FCニュルンベルク戦では20分に先制点を挙げたが、得点の11分後にレッドカードを受けて退場処分となり、延長戦の末に2-3で敗れて準優勝に終わった。カカウはアウェーでのニュルンベルクとのリーグ戦でも得点しているが、リーグ戦ではホーム&アウェーで2連敗しており、同クラブにはシーズン3回目の敗戦となった。2007-08シーズンはUEFAチャンピオンズリーグで5試合に出場し、11月27日のレンジャーズFC(スコットランド)戦(ホーム、3-2)で同点弾を決めた。リーグ戦では27試合に出場して9得点を挙げ、チームは6位でシーズンを終えた。2008-09シーズンは24得点を決めたFWマリオ・ゴメスのパートナーとしてチーム2位の7得点を決めた。特に、マルクス・バッベル監督就任後の活躍が著しかった。2009-10シーズン前半戦はクラブの低迷に合わせて2得点と沈黙したが、23節の1.FCケルン戦(5-1)で1試合4得点と爆発すると、その試合から最終節までの12試合で11得点し、順位を7位まで上げてUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2010年5月1日、クラブとの契約を2013年夏まで延長した。2011-12シーズンは序盤から好調を続け、2011年8月6日のシャルケ04戦(3-0)ではヘディングシュートを決めて快勝に貢献した。2014年5月3日、契約満了により2013-14シーズン限りでシュトゥットガルトを退団することが発表された。 8月11日、Jリーグのセレッソ大阪へ2015年6月までの契約で移籍した。2015年6月9日、6月末日までの契約期間を前倒しして、セレッソ大阪との契約を打ち切った。 セレッソ退団後は、未所属の期間が続いたが、2016年2月に降格の危機にあるセカンドチームを助けたいという理由で、ドイツ3部に属するシュトゥットガルトのセカンドチームのシュトゥットガルトIIでプレー。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カカウ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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