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カガミコウタ ( リダイレクト:Kダブシャイン ) : ウィキペディア日本語版
Kダブシャイン[けーだぶしゃいん]

Kダブシャイン(ケーダブシャイン、本名:各務 貢太〈かがみ こうた〉、1968年5月8日〔 - )は、日本ヒップホップMCタレントワタナベエンターテインメント所属。旧表記はK DUB SHINE東京都渋谷区出身〔。
1995年キングギドラ(現:KGDR)のメンバー及びリーダーとしてアルバム『空からの力』でデビュー。1997年にアルバム『現在時刻』でソロデビューし、2006年12月にはradio aktive projectを結成〔。
2015年にワタナベエンターテインメントに移籍してからは、地上波ゴールデンタイムのクイズ番組などにも出演する等、活動の場を広げている〔Kダブシャインが『ドレミファドン!』に出演、スゴすぎるとネット上で話題に 「夢じゃなかった」「活躍ハンパねえwww」 - AOLニュース 〕。なお、ワタナベエンターテインメントにはミュージシャンやタレントではなく文化人として所属している〔Kダブシャイン|ワタナベエンターテインメント 〕。
== 来歴 ==
東京都渋谷区富ヶ谷にて母一人子一人の母子家庭に育つ〔生まれも育ちも渋谷-ラッパー、K・ダブ・シャインさんが自伝本 - 渋谷経済新聞〕(1980年代には同区神山町に転居)。 幼少の頃は病弱で、入退院を繰り返しており、小学生になるまで生きられないかもしれないと言われていたという。小学校時代には、中学受験のために四谷大塚へも通塾していたが、地元の渋谷区立松濤中学校に進んだ。高校は町田市にある私立高校へ入学。すぐに中退して、産経新聞社の主催する交換留学制度を利用して、アメリカ合衆国フロリダ州の高校へ留学。帰国後はテンプル大学日本校に通ったが、後に中退した〔当時同大学にはEAST ENDGAKU-MCも通っており、この時点で知り合いになる〕。
1980年代半ば頃にアメリカのヒップホップに出会い、後に自身もラップをするようになる。当初は、日本語はラップには向かないと考え英語でラップをしていたが、アメリカ人の友人に「何故日本語でラップしないのか」と問われた事をきっかけに、日本語によるラップを模索しはじめる〔朝日新聞 2005年4月15日夕刊 7面【ARTIST meets ARTIST】「日本のラップと社会」K DUB SHINE〕。
*1993年
 *友人であったZEEBRAに自身の日本語によるラップを聴かせたところ意気投合し、ZEEBRAの幼馴染のDJ OASISを加え、日本語ラップグループ・キングギドラを結成する。グループでは自身が活動コンセプトを発案し、リーダーを務める。
*1995年
 * キングギドラのメンバーとしてアルバム『空からの力』でレコードデビュー。
*1996年
 *ヒップホップイベントさんピンCAMPに出演。ソロ曲「機能停止」も披露する。
 * キングギドラとしての活動を停止し、ソロでの活動を開始する。
 *同年発行のS.H.フェルナンドJ.R.著 石山淳 訳『ヒップホップ・ビーツ』に翻訳協力・アルバム解説という形で参加している。
*1997年
 *カッティング・エッジよりアルバム『現在時刻』を発表しソロメジャーデビュー。
 *DJ OASISらと共にアトミックボム・プロダクションズを設立する。
*1998年
 *MISIAの楽曲「陽のあたる場所」のリミックス曲に客演として参加。
 *法務省主催の「社会を明るくする運動〜HIP HOPを見て聴いて若者を語る〜」に若者と大人を繋ぐ存在として参加。ヒップホップをほとんど聞かないような参加層の前でラップを披露。ヒップホップと社会との関係性を語り、若者と社会(大人)、双方の歩み寄りを訴えた。 ちなみに主催した政治家と友人であり、昔は一緒に悪い事をした仲でもある。
*1999年
 *アトミックボム・プロダクションズを法人化し、渋谷を拠点に本格的に事業を開始する。
*2000年
 *2ndアルバム『生きる』をリリース。
*2001年
 *ミニアルバム『SAVE THE CHILDREN』をリリース。
*2002年
 * キングギドラを再始動。発表したシングルが次々オリコンチャートインし、地上波ゴールデンタイムの音楽番組である『ミュージックステーション』や『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』に出演、知名度を広める。同年に発表したアルバム『最終兵器』はオリコン初登場3位にランクインする。
 *自身やキングギドラのPVを手掛ける薗田賢次が監督を務め、親交のある窪塚洋介が主演した映画『凶気の桜』で初の音楽監督を務める。
 *児童虐待をテーマにしたコンセプトアルバム『CHANGE THE GAME』に参加。
*2003年
 *初のベストアルバム『世界遺産』を発表。
 *カッティングエッジからソニーミュージックレコーズに移籍。
*2004年
 *自身の生い立ちや半生を綴ったコンセプトアルバム『理由』を発表。収録曲「来たぜ」の中のリリックからDEV LARGEとのビーフが勃発。(後述)
 *出演しているスペースシャワーTVの時事放談番組『第三会議室』が放送を開始。
 *映画『デビルマン』に楽曲「彼が去れば」を提供。
*2006年
 *DJ OASISと共にRadio Aktive Project(後にradio aktive projeqtに改名)を始動。
*2007年
 *映画『それでも生きる子供たちへ』の応援ソングとして「ソンはしないから聞いときな」を発表。
 *自身の半生を綴った書籍『渋谷のドン - Kダブシャインと渋谷のリアルな30 年史』を発表。
 *アトミックボム・プロダクションズが倒産New Klear Vision #1「アトミックボム倒産の真相」 - ニコニコ動画〕。
*2008年
 *映画版及びOVA版『デトロイト・メタル・シティ』の劇中曲に「フロムNYシティ」を提供。アニメ版には声優として出演もしている。
 *妄走族のメンバー剣桃太郎と同席し和解〔Kダブシャインと剣桃太郎が和解|NEWS / REPORT(ニュース/レポート) - Amebrak(アメブレイク)〕。
*2009年
 *5月27日、Radio Aktive Projeqtとしてファーストアルバム「neworlder」を発売。
 *8月5日、不幸の事件で他界した高校生(ケンタS)が死前に録音していたラップ曲を、高校生がキングギドラのファンだと知ったDJ OASISと共に、「今の世の中」としてiTunes Storeで配信。名義は「K ダブシャイン feat. ケンタS」
*2010年
 *1月27日、新曲3枚と2009年に発表した「今の世の中」を含む、2枚目のベストアルバムとなる「自主規制」を発売。
*2011年
 *3月18日、自身のツィッターにて、キングギドラ名義で東北地方太平洋沖地震の被災者への義援金チャリティーコンサートを行う計画を立てていることを明かす。〔TOWER RECORD ニュース 2011年3月18日
 *4月30日大阪城野外音楽堂で開催された東北地方太平洋沖地震チャリティーライブ「KEEP YOUR HEADS UP!」でキングギドラとしてライブを行う。
*2012年
 *9月19日、昨年発生した東日本大震災から、その後の日本の状況についてまでの心情を綴った約8年ぶりとなるシングル「沈まぬ太陽」を発売。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「Kダブシャイン」の詳細全文を読む




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