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パクダ・カッチャーヤナ(パーリ語:Pakudha Kaccayana、漢:迦羅鳩駄迦旃延、生没年不詳)またはカクダ・カートゥヤーヤナは、釈迦の在世中に活躍した自由思想家で出家修行者。六師外道のひとりで、唯物論的・原子論的な七要素説を唱えた。釈迦による批判〔『長阿含経』卷第17「沙門果経」に収載されている。〕がある。 == 思想 == ローカーヤタ ''Lokayata''(順世派)〔後世チャールヴァーカ''Carvaka''と呼ばれた、唯物論および快楽至上主義の説を奉ずる学派。〕の祖となった自由思想家アジタ・ケーサカンバリン(Ajita Kesakambalin、阿耆多翅舎欽婆羅)は唯物論者として知られ、万物は地・水・火・風の4元素から成るとする四元素還元説を唱えたが、パクダ・カッチャーヤナはこれら物質的元素に苦・楽・命を加えた七要素説を唱えた。「苦」と「楽」は感覚、「命」は生命のはたらきであり、7つの要素〔カッチャーヤナは、それぞれの要素をカーヤ(''kaya''、「肉体」)と呼んでいる。〕それぞれは互いに他に対して何の影響もあたえず、また受けないのであり、その点で絶対的で永続的なものであると説いた。 カッチャーヤナによれば、7つの要素は、作られたものではなく、作らせられたものではなく、また、何かを作るものでもない。また、不変不動で、直立しており、動揺することなく、他を害することもなく、互いの苦楽のためにもならない。そこには、殺す者も殺される者もなく、学ぶ者も教える者もいない。たとえ、鋭利な剣によって頭を断ち切ったとしても、誰かが誰かの命を奪うということにはならない。それは単に、7要素の間隙、諸要素間の裂け目に剣先が落ちるにすぎない。カッチャーヤナはこのように述べて絶対的な実体論を主張し、これを敷衍して、ひとつの行為に善悪の区別はないという見解を示した。これはまた、人間には何の力もなく、精進による解脱を望んでも無駄だという認識を含んでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パクダ・カッチャーヤナ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pakudha Kaccayana 」があります。 スポンサード リンク
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