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郝柏村(Hau Pei-tsun,),江蘇省鹽城出身の軍人,政治家。字は伯春,中華民国陸軍一級上将,卿雲勲章、雲麾勲章および虎字榮譽旗を授章し、今までに中華民国参謀総長、中華民国国防部部長、そして国軍退役後には行政院院長を務めた。これは陳誠以降2つの軍の最高職並びに行政院長を唯一務めた人物である。2006年12月から2014年12月まで台北市長を務めた郝龍斌は長男である。 ==経歴== 1935年に陸軍軍官学校の砲兵科12期生として入学,1938年1月20日に日中戦争の情勢の緊張に伴い、期間前に卒業したのち河南省零陵区に疎開していた南京砲兵学校に配属され、ソ連から供与された火砲の射撃技術を学ぶ。1938年より1939年10月にかけて及び皖南戰役に参加。1940年に砲兵学校の課程を修了したのち、第七砲兵旅団十四連隊第二大隊五中隊の中の小隊長に中尉として任官し中隊長の代理を務め、湖南省邵陽市に駐在する部隊として、江西省興安一帯の守備にあたる。1942年秋、中国遠征軍砲一旅補充団二営上尉営附を経て二営六連連長となる。しかし緬北攻勢発動前の1943年末に帰国し、重慶の陸軍大学正規班に入学(20期生) 〔郝柏村口述、傅应川等笔记,郝柏村重返抗日战场,台北:远见天下文化,2015年6月,页265、页267〕。なお、大戦中相次いで両親を亡くしているが、一度も帰郷する事は叶わななかった〔张作锦、王力行主编,我们生命里的七七:从芦沟桥到中日八年抗战,台北:天下文化,2014年6月〕1946年5月の卒業後、中校に任ぜられ、陸軍総部三署二組参謀となる。1946年8月29日には顧祝同随員となり、のち砲十二団二営長。1947年9月には東北部に配属される。遷台後は上校に昇進、1955年まで国防部参謀総長辦公室附参謀となる。〔中央日報,《歷史不能誤導 真相不能扭曲─專訪前行政院長郝柏村》。但在郝柏村任职一览中,并无总统侍从任职〕 その後、1957年まで陸軍第三軍砲兵指揮部の指揮官をつとめる〔。1958年の金門砲戦勃発時、金門県を管轄する第9師師長として小金門を死守、この功績により雲麾勲章と虎字栄誉旗を受章、金門防衛司令部司令に任ぜられた。1962年の反攻大陸計画では郝が軍長として先陣を切る予定であったが、米国の反対により実現する事はなかった。1977年4月、陸軍二級上将昇進と同時に国防部副参謀総長。 中華民國前任国防部長郭寄嶠上将の姪郭婉華と結婚。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カク柏村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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