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カザンラク
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カザンラク
カザンラク(ブルガリア語:、ラテン文字表記:''Kazanlak'')はブルガリア・スタラ・ザゴラ州にあり、バルカン山脈麓のカザンラク平原に開けた都市である。カザンラクはブルガリアでは10番目に大きな工業都市で、2006年現在の人口は78,938人である〔За общината 〕。ローズオイル生産の中心地でもある。 == 歴史 == カザンラク一帯に人が住み始めたのは新石器時代(紀元前6000~5000年前)までさかのぼる。紀元前4~3世紀頃トゥンジャ川上流はトラキア人支配地の中心で、セウト三世の治世時代でもあり、ヘレニズムの中でのトラキアの歴史的発展にとって重要な場所であった。トラキア人の都市であるセウテポリス(Seuthopolis)はカザンラク近くで発見され、コプリンカ貯水池建設の際徹底的に調査された。紀元前4世紀、セウテポリス近くにトラキア人は墓を建てている。有名なカザンラクのトラキア人の墳墓で、1979年にユネスコの世界遺産に登録されている。 中世、カザンラク平原はブルガリアのボイヤールエルティミールの支配地クルンの中心地であった。後の1370年、カザンラクはオスマン帝国の支配下に入る。現代の都市カザンラクの起源は15世紀にさかのぼる。シプカ峠を防御するため軍の要塞が設けられ、その後手工業が発達した。タンニング(革加工)、銅細工、ガラス細工、フライゼ(織物)、靴作り、樽の製造など50以上の手工業が発達し、バラの栽培も同様に発達した。精油用のバラはインドからペルシア、シリア、トルコを経由し入ってきた。適した気温、高い湿度、日照、シナモン林など成功する条件が必要であった。カザンラクのローズオイルはパリやロンドン、フィラデルフィア、アントウェルペンの展示会などで金メダルに輝いている。オスマン支配後は巨大な市場を失ったことから手工業は衰退して行き、軍需産業が発達する。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カザンラク」の詳細全文を読む
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