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カスティーリャ王国(カスティーリャおうこく、)は、中世ヨーロッパ、イベリア半島中央部にあった王国である。キリスト教国によるレコンキスタ(国土回復運動)において主導的役割を果たし、後のスペイン王国の中核となった。 Castilla の日本語表記は、カスティーリャ、カスティリャ、カスティリア、カスティーヤ、カスチラと様々に音写されている。また菓子のカステラは、王国名のポルトガル語発音である「カステーラ」(Castela)からとされている。 == カスティーリャ伯領 == 8世紀初頭にイスラム教勢力がイベリア半島を侵略、キリスト教勢力は、半島北端のカンタブリア山脈以北および北東部のピレネー山脈山麓周辺に追いつめられた。カンタブリア山脈の北ではアストゥリアス王国が成立、イスラム軍と衝突しつつも、徐々に南方へ領域を広げていき、914年、レオンへ遷都した(これ以降はレオン王国と呼ばれる)。レオン王国の東部地域は、メセータと呼ばれる周りを山々に囲まれる高原が広がり、常にイスラム軍の侵攻ルートとして使われ、戦闘が繰り返された。この地域の住人は、防衛のため多くの城塞を作った。この地域がカスティーリャと呼ばれるようになったのは、スペイン語で城を意味するカスティーリョ(castillo)に由来すると言われる。当初この地は複数の伯領に分かれていたが、最前線としての軍事力強化を目的として、932年にカスティーリャ伯領として統合された。カスティーリャ伯フェルナン・ゴンサレスは、レオン王国内での地位を強め、伯領に対する王国の支配力を排斥し、961年には事実上独立した。 1029年に、カスティーリャ伯ガルシア・サンチェスが暗殺されると、その妹を妃としていたナバーラ王サンチョ3世が伯領を継承し、ナバーラ王国に併合した。この頃、イベリア半島の中部および南部のイスラム圏(アル=アンダルス)では後ウマイヤ朝が内紛で衰退し、タイファと呼ばれる小国が乱立する群雄割拠の時代に向かっていた。タイファの多くは、キリスト教国のナバーラ王国に貢納しつつ、タイファ間での戦争により、ますます疲弊していった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カスティーリャ王国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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