翻訳と辞書
Words near each other
・ カスバの女
・ カスバ・クラブ
・ カスバート
・ カスバート・コリンウッド
・ カスバート・コリングウッド
・ カスパリー点
・ カスパリー線
・ カスパル
・ カスパルス・ゴルクシュス
・ カスパル・コメリン
カスパル・シャムベルゲル
・ カスパル・ダヴィト・フリードリヒ
・ カスパル・ネッチェル
・ カスパル・マーゼ
・ カスパル・ヴォルフ
・ カスパロフ
・ カスパー
・ カスパーゼ
・ カスパール
・ カスパール・ハウザー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カスパル・シャムベルゲル : ミニ英和和英辞書
カスパル・シャムベルゲル
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


カスパル・シャムベルゲル : ウィキペディア日本語版
カスパル・シャムベルゲル

カスパル・シャムベルゲル(〔名詞の語尾変化により、出島商館日記やドイツの史料には、Schambergen, Schaembergen, Schambergというつづりもあり。長男は名字としてSchambergのみを用いた。〕、1623年9月11日 - 1706年4月8日)は、ドイツ人の外科医及び商人。1649年から1651年に日本に滞在し、蘭方医学の史上発の流派の祖となった(「カスパル流外科」)。
==経歴==

===来日まで===
シャムベルゲルは1623年9月11日にライプツィヒに生まれた。1637年から3年間外科医ギルドで外科学を学び、1640年に外科医の資格を与えられた〔大学を出た内科医ではなく、ギルドで「小外科学」(Chirurgica minor)学んだ外科医である。〕。その後、中欧各地で修行をつみ、1643年にオランダ東インド会社の外科医採用試験に合格した。その年の10月24にバタヴィアに向けてヨーロッパを後にしたが、喜望峰近くで船が難破したため、バタヴィアに到着したのは翌1644年7月31日であった。その後数年間は船医として勤務し、1646年にバタヴィアに戻った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カスパル・シャムベルゲル」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.