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カタリナ・リンドクイスト : ミニ英和和英辞書
カタリナ・リンドクイスト
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


カタリナ・リンドクイスト : ウィキペディア日本語版
カタリナ・リンドクイスト

カタリナ・リンドクイストCatarina Lindqvist, 1963年6月13日 - )は、スウェーデンヴェルムランド県クリスティーネハム出身の元女子プロテニス選手。1987年全豪オープン1989年ウィンブルドンで、2度4大大会の準決勝に進出した当地最大の女子テニス選手である。シングルス自己最高位は10位(1985年4月)。WTAツアーでシングルス6勝を挙げた。身長165cm、体重57kg、右利き。
1981年にプロ入り。直ちに女子国別対抗戦・フェドカップ(当時の名称は「フェデレーション・カップ」)のスウェーデン代表となり、現役引退する1992年まで国の代表選手であった。1985年全豪オープン4大大会の準々決勝に初進出。この時の2回戦で、リンドクイストは日本の井上悦子を 6-4, 7-5 で破った。3回戦でダブルスの名手パム・シュライバーアメリカ)を破ったが、準々決勝でクラウディア・コーデ=キルシュ西ドイツ)に敗れている。続く1987年全豪オープンで、リンドクイストは前回よりも1ラウンド上の準決勝まで勝ち残ったが、この準決勝でマルチナ・ナブラチロワに 3-6, 2-6 で完敗した。(全豪オープンは会場移転の関係で、1985年12月 → 1987年1月 と開催時期の変更がなされた。)
1988年ソウル五輪において、オリンピックにプロテニス選手の出場を認める決定がなされた。リンドクイストはオリンピックのスウェーデン代表選手として、1988年ソウル五輪と1992年バルセロナ五輪の2度出場を果たしている。ソウル五輪の女子シングルスで、リンドクイストはマニュエラ・マレーバ・フラニエールとの3回戦まで勝ち進んだ。
1989年ウィンブルドンで、カタリナ・リンドクイストは2度目の4大大会準決勝に進出したが、ここでもナブラチロワに 6-7, 2-6 のストレートで敗れた。同年10月、女子国別対抗戦「フェデレーション・カップ」が東京有明コロシアムで開かれた時、日本チームとスウェーデン・チームが1回戦で当たり、リンドクイストは日本雉子牟田明子に 2-6, 2-6 で完敗している。1990年4月に「サントリージャパン・オープン」(当時はサントリーがジャパン・オープンのスポンサーをしていた)の女子シングルスで、エリザベス・スマイリーオーストラリア)を 6-3, 6-2 で破った優勝がある。1991年2月にノルウェーの「オスロ・オープン」でツアー6勝目を挙げたが、これがリンドクイストの最後のツアー優勝になった。1992年全米オープン1回戦敗退を最後に、29歳で現役を引退した。
スウェーデンテニス界は、男子3強豪ビョルン・ボルグマッツ・ビランデルステファン・エドベリの伝統を誇るが、女子選手に世界的な強豪選手がいない。2度の4大大会準決勝進出を果たしたリンドクイストの引退後は、スウェーデンの女子テニス選手は世界的な逸材を見出せない低迷期が続いている。

== 外部リンク ==

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*  シングルス自己最高位「10位」が分かる。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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