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カタリーナ・フォン・ブランデンブルク=キュストリン(Katharina von Brandenburg-Küstrin, 1549年8月10日 - 1602年9月30日)は、ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム・フリードリヒの最初の妃。選帝侯ヨアヒム1世ネストルの次男であるブランデンブルク=キュストリン辺境伯ヨハンの次女で、ヨアヒム・フリードリヒの父ヨハン・ゲオルクの従妹にあたる。母はブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公ハインリヒ2世の長女カタリーナ(1518年 - 1574年)である。 1570年1月8日にヨアヒム・フリードリヒと結婚し、11人の子をもうけた。 *ヨハン・ジギスムント(1572年 - 1620年) ブランデンブルク選帝侯 *アンナ・カタリーナ(1575年 - 1612年) デンマーク王クリスチャン4世の妃 *女子(1576年) *ヨハン・ゲオルク(de, 1577年 - 1624年) イェーゲルンドルフ(クルノフ)公 *アウグスト(de, 1580年 - 1601年) *アルベルト・フリードリヒ(de, 1582年 - 1600年) *ヨアヒム(de, 1583年 - 1600年) *エルンスト(1583年 - 1613年) *バルバラ・ゾフィー(de, 1584年 - 1636年) ヴュルテンベルク公ヨハン・フリードリヒと結婚 *女子(1585年 - 1586年) *クリスティアン・ヴィルヘルム(de, 1587年 - 1665年) マクデブルク大司教 カタリーナの死の翌年の1603年にヨアヒム・フリードリヒは、カタリーナと同じホーエンツォレルン家の同族で息子ヨハン・ジギスムントの妻アンナの妹である、プロイセン公アルブレヒト・フリードリヒの四女エレオノーレと再婚した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カタリーナ・フォン・ブランデンブルク=キュストリン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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