翻訳と辞書
Words near each other
・ カタルーニャ一周2012
・ カタルーニャ一周2013
・ カタルーニャ人
・ カタルーニャ公営鉄道
・ カタルーニャ公国
・ カタルーニャ共和主義左派
・ カタルーニャ共和主義左翼
・ カタルーニャ共和国
・ カタルーニャ反乱
・ カタルーニャ同盟
カタルーニャ君主国
・ カタルーニャ国民の日
・ カタルーニャ国民会議
・ カタルーニャ地方
・ カタルーニャ州
・ カタルーニャ州の旗
・ カタルーニャ州政府
・ カタルーニャ州議会
・ カタルーニャ工科大学
・ カタルーニャ左派共和党


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カタルーニャ君主国 : ミニ英和和英辞書
カタルーニャ君主国[かたるーにゃくんしゅこく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カタル : [かたる]
 【名詞】 1. catarrh 2. (n) catarrh
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [くん, きみ]
  1. (n,suf) Mr (junior) 2. master 3. boy 
君主 : [くんしゅ]
 【名詞】 1. ruler 2. monarch 
君主国 : [くんしゅこく]
 (n) monarchy
: [ぬし, おも]
 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god 
: [くに]
 【名詞】 1. country 

カタルーニャ君主国 : ウィキペディア日本語版
カタルーニャ君主国[かたるーにゃくんしゅこく]

カタルーニャ君主国またはカタルーニャ公国(, アラン語: Principautat de Catalonha, , , , ラテン語: Principatus Cathaloniae)は、イベリア半島北東部にかつて存在した国家。現在は大半がスペインカタルーニャ州に属し、一部がフランス南部ピレネー=オリアンタル県となっている。「君主国」ないし「公国」という呼称については後述する
カタルーニャ君主国は、レコンキスタ時代に生じたスペイン辺境領の別々の伯爵領が、バルセロナ伯の支配下で連合したものである。1137年、アラゴン女王ペトロニラ(パルネリャ)とバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世の結婚により、アラゴン連合王国の一部と見なされるようになったが、実際はカタルーニャ君主国とアラゴン王国は対等な関係であった。ラモン・バランゲー4世の子アルフォンソ2世は、アラゴンではアラゴン王ではあったが、カタルーニャではバルセロナ伯アルフォンス1世を名乗った。

== カタルーニャの成立 ==
イベリア半島の地中海沿岸地方のように、古代ギリシャ人がロザス(現ジローナ県の自治体)を植民地化した。ギリシャ人・カルタゴ人はどちらもイベリア人住民に影響を及ぼした。カルタゴの敗退後、ローマ属州ヒスパニアの一部となり、首都タラッコ(現在のタラゴナ)がイベリア半島におけるローマの駐屯地となった。
ローマ帝国の崩壊後、事実上西ゴート族が支配したが、8世紀にアルアンダルスムーア人が権力を掌握した。太守のアブドゥル・ラフマーン・アル・ガフィキワ軍が732年のトゥール・ポワティエ間の戦いで退けられると、ムーア人が治めていたかつての西ゴート王国領をフランク人が征服した。そしてカタルーニャ北部の諸伯領とは同盟関係を結んだ。795年、カール大帝スペイン辺境領の名で知られる緩衝地帯を創設した。この緩衝地帯は、地元諸侯が治める別々の小王国からなるセプティマニア地方を越え、ウマイヤ朝支配下のアルアンダルスのムーア人とフランク王国間の防衛用の盾にされた。
カタルーニャ文化は中世に発展を始めた。カタルーニャ北部の至る所で小さな伯領が組織され、これらの弱小国からカタルーニャ文化が生まれた。バルセロナ伯はフランク王国に臣従を誓っていた(801年から987年まで)。
987年、バルセロナ伯ボレイ2世はユーグ・カペー(西)フランク王と承認するのを拒否し、これによってバルセロナ伯はフランク王国のくびきから脱した。1137年、バルセロナ伯ラモン・バランゲー4世はアラゴン女王ペトロニラ(パルネリャ)と結婚、アラゴン王国との同君連合によるアラゴン連合王国が成立した。
1258年のコルベイユ条約締結までは、フランス王は公式にカタルーニャ君主国及びアラゴン王国への封建的宗主権を放棄しなかった。この条約は、フランス支配からアラゴン人の支配への合法な過渡期の中で、カタルーニャを事実上の独立国家へと転換させたものである。これは歴史的な不平等も解消した。アラゴン王国の一部として、カタルーニャは大きな海事力を持つようになり、バレンシアバレアレス諸島サルデーニャ島シチリア島までの貿易や征服の拡大が進んだ。
1265年、バルセロナにおける市議会として百人議会(en、クンセイ・ダ・サン)が誕生した。議員定数100人と決められていたことからこの名がついた議会は、カタルーニャにおける地方自治の象徴であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カタルーニャ君主国」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.