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カタルーニャ語文学(カタルーニャごぶんがく、)は、ロマンス諸語であるカタルーニャ語で執筆された文学。スペインとフランスにまたがるカタルーニャ地方などで書かれている。 19世紀以降にはスペインの他地域や他国からカタルーニャ語を解さない住民がカタルーニャ地方に数多く流入しており、スペイン語などカタルーニャ語以外の言語で書かれた作品や、カタルーニャ語で書かれた作品を他言語に翻訳した作品も多く出版されている。20世紀半ばのフランコ体制下など、カタルーニャ地方でカタルーニャ語以外の言語が文学の主流だったこともある。このため、ここではカタルーニャ語文学を中心としながら、カタルーニャ地方で書かれた文学作品全般(カタルーニャ文学)も取り扱う。 == 歴史 == === 初期(11-14世紀) === 中世には文字を読める人の数自体がとても少なかったため、文学作品は主に耳を通して広まっていった〔。修道院が文化醸成の中心地となり、叙情詩人(トルバドゥール)、商人、巡礼者などが修道院を訪れた〔。ピレネー山脈の北側からは、ブルターニュ地方の伝説物語、古典小説、フランス語詩、叙情詩人の歌などがカタルーニャ地方に持ち込まれている〔。 11世紀と12世紀には都市が成長し、文化に興味を示すブルジョアが生まれた〔。カタルーニャ語で書かれた最古の文献は12世紀半ばに遡り、断片的なゴート人法である『Forum Iudicum』とカトリック信徒向けの説教集『Homilies d'Organyà』であるとされる〔。叙情詩人はそれまで粗野な言語だと思われていたプロヴァンス語をラテン語の代わりに使用するようになり、散文にはカタルーニャ語を使用したが、高尚な文学とされた詩作の際には15世紀までプロヴァンス語(オック語)を使用した〔。叙情詩は厳格な規則を持つ芸術であり、一部の叙情詩人は高貴な家系の出身だった〔。 13世紀に活動したラモン・リュイは「カタルーニャ語の父」と呼ばれており、初期の小説である『ブランケルナ』、哲学の方法論である『アルス・マグナ』などを著した。リュイの作品は内容の豊かさや言語的創造性の高さが注目され、普遍的な価値が認められている。リュイの創作の中心は散文だったものの、韻文作品は他のカタルーニャ人詩人と同じくオック語で執筆している。リュイはカタルーニャ語、ラテン語、アラビア語で265の作品を公表しており、神秘主義や哲学の分野ではヨーロッパ全体の先駆者のひとりとされている〔。 14世紀のカタルーニャ地方では散文が優勢となり、カタルーニャ語の宗教詩や説教などを残した宗教関係者としては、フランシスコ会の、修道士の、祈祷師でありドミニコ会修道士のなどの人物がいる〔。1323年のトゥールーズの詩会議では詩作法が定められたため、カタルーニャの詩人はプロヴァンス語で書いた。14世紀末のカタルーニャでは叙情詩人の詩作法を復元する試みがあり、カタルーニャ語とプロヴァンス語が用いられた〔。14世紀後半に活動したは、イタリアから持ち込まれたルネサンス様式を取り込んだことでカタルーニャ文学界の重要人物とされ、その知性の高さからメチェは政界にも進出した〔。その他の優れた作家の中にはなどがおり、騎士道などに着想を得ていた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カタルーニャ語文学」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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