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カタンガ国(とは、1960年7月11日に(CONAKAT)指導者モイーズ・チョンベがコンゴ共和国からの分離独立を宣言して成立させた国家である。カタンガ新政府は支配地域の住民から満足な支持を得られず、特にルバ族が居住する北部においてその傾向が顕著であった。現在はカタンガ州としてコンゴ民主共和国の一部となっている。 独立宣言はベルギー政府と密接な関係を持つ大企業及び6,000以上の兵力のベルギー軍に後援されて行われた。カタンガはコンゴの最も豊かで開発された地域の一つだった。この地域が離脱した結果、コンゴ共和国は政府の収入の大部分を失うことになった。チョンベ指揮下のカタンガ憲兵隊とは別に、他国出身の訓練された白人から成る傭兵部隊が編成された。 == カタンガ国の成立 == 1960年6月30日にベルギー領コンゴが解体され、コンゴ共和国が独立した。しかし、この新国家は成立直後から難局に直面することになる。同年7月11日にモイーズ・チョンベが国家の収入の約50%を占める裕福な地域、カタンガの分離独立を宣言した。チョンベと彼の当時の関係者によると、国家の混乱状態から脱出するためと、首相のパトリス・ルムンバを共産主義の手先と見なしたのがこの行動の原因だった。続いてカタンガ政府は彼らの一方的な独立宣言をサポートするように、ベルギーに軍事援助を要請した。チョンベはソビエト連邦と対立している立場上、コンゴ情勢において利害を共有していると感じてアメリカ合衆国にもサポートを求めた。 カタンガの一方的な独立宣言から1週間も経たぬうちにルムンバは国連事務総長ダグ・ハマーショルドに向けて電報を送った。「緊急の軍事援助」を要請し、独立後の危機はベルギーの陰謀によって引き起こされていると非難した〔。イギリスとフランスは国際連合がコンゴ国連軍(ONUC)を派遣する構想にあまり気乗りしない態度を示した。また、ポルトガルと南アフリカ連邦は国連軍の構想そのものに公然と敵対的な態度を示し、カタンガ国に対する干渉に反対し続けた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カタンガ共和国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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