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『カチューシャの唄』(カチューシャのうた)は、1914年(大正3年)に発表された日本の歌謡曲、ならびに同楽曲を題材にした同年製作・公開の日本の短篇映画である。 楽曲の作詞は島村抱月と相馬御風、作曲は中山晋平。劇団芸術座の第3回目の公演である『復活』の劇中歌として、主演女優の松井須磨子などが歌唱した。また、『復活唱歌』の題名で、松井の歌唱によるレコードが発売された。歌詞の「カチューシャかわいや わかれのつらさ」は爆発的な流行語となった。 == 楽曲解説 == ヨナ抜き音階のような伝統的な日本の音楽表現や、リード形式の西洋音楽の手法を取り入れている。歌詞は5番まであり、曲の途中で民謡の囃子言葉のように「ララ」と扱って、曲全体を引き締めている〔『カチューシャの唄、永遠に』 134頁。〕。 作詞は島村と相馬の名義である。1番は島村が作詞し、2番以降は相馬が作詞したものであるが、当初は島村が手掛けていたのにもかかわらず、うまくいかなかったので相馬がまとめる形になったと、後に藤浦洸は芸術座の俳優であった笹本甲午から聞いている〔『なつめろの人々』 16頁。〕。 一方、中山はこの作品が作曲者として初めて世に出した作品であった。島村は書生として寄宿していた中山に「学校の唱歌ともならず、西洋の賛美歌ともならず、日本の俗謡とリードの中間のような旋律を考えて欲しい」〔『カチューシャの唄、永遠に』 64頁。〕「誰にでも親しめるもの、日本中がみんなうたえるようなものを作れ」〔『カチューシャの唄、永遠に』 182頁。〕と依頼した。そのようなメロディが思い浮かばずに悩んだ中山であったが、1か月ほど経った頃に詞の合間に「ララ」と合いの手を織り交ぜるアイディアが浮かび、島村の許可を得た上で若干の変更を加えた末に完成させた〔。 『復活』の上演では、第1幕で松井と横川唯治が歌い、第4幕で松井と宮部静子が歌うため、主に歌ったのは松井である。松井は首を少し傾げて両手で手拍子を取りながら情感を込めて歌っていたが、当時、広島で実際に公演を見た藤浦は後にレコードを聞いて「女学校の唱歌のよう」〔であったと評している。 松井の死後も他の人々によって歌われるようになり、平成になってからもソウル・フラワー・モノノケ・サミットが1997年(平成9年)に発表したアルバム『レヴェラーズ・チンドン』でカバーしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カチューシャの唄」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Katyusha's song 」があります。 スポンサード リンク
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