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カッテリーノ・カヴォス(, , 1775年10月30日 – 1840年5月10日(旧暦4月28日))は、イタリアに生まれ、ロシアで活躍した作曲家、オルガニスト、指揮者。 カーヴォスとも。 マリインスキー劇場を設計した建築家アルベルト・カヴォス(:en:Alberto Cavos, 1800年 - 1863年)はカッテリーノの子〔Ardoin, John. (2001). "Valery Gergiev and the Kirov: A Story of Survival", pp. 10-11 Portland, OR: Amadeus Press.〕。 ヴェネツィアに生まれ、1799年よりサンクトペテルブルクでイタリア・オペラやロシア・オペラの合唱・オーケストラの指揮者として活動し、レパートリー形成や歌手、音楽家の育成など、ロシアのクラシック音楽史において重要な役割を果たした。 また、ミハイル・グリンカが作曲したオペラ『皇帝に捧げた命』に先立つ20年前に同じ題材のオペラ『イヴァン・スサーニン』を作曲したことでも知られる〔リチャード・タラスキン (1996). "Stravinsky and the Russian Traditions: A Biography of the Works Through Mavra, Volume 1" p. 426 Oxford: Oxford University Press〕。 == 生涯 == === 生い立ち === 1775年ヴェネツィア生まれ。父アルベルト・ジョバンニ・カヴォスはフェニーチェ劇場の首席バレエ・ダンサー兼監督だった〔Ardoin, John. (2001). "Valery Gergiev and the Kirov: A Story of Survival", pp. 10-11 Portland, OR: Amadeus Press.〕。 カヴォスは作曲家フランチェスコ・ビアンキ(:en:Francesco Bianchi, 1752年 - 1810年)に師事し〔Randel, Don Michael. (1996). "Catterino Cavos." ''The Harvard biographical dictionary of music'', p. 147 Cambridge, MA: Harvard University Press.〕、12歳のときレオポルト2世のヴェネツィア訪問を祝してカンタータを作曲した〔アレクサンドル・ベノワ(1960). ""Memoirs", Vol. 1, p. 37. London: Chatto & Windus〕。14歳のとき、サン・マルコ寺院のオルガニストに推されたが、カヴォスはこれを断り、年上の貧しい音楽家に同ポストを譲った〔Grove, Sir George (1904). "Grove's dictionary of music and musicians," Vol. 1 p. 485 London: MacMillan & Co.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カッテリーノ・カヴォス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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