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カッパピアは、群馬県高崎市高崎観音山丘陵近辺にかつてあった、上信電鉄傘下の高崎フェアリーランド株式会社経営の遊園地である。 == 概要 == 高崎市は、第二次世界大戦後の復興政策の一環として1952年に「新日本高崎子ども博覧会」を開催し、これが大盛況に終わる。 その後、1961年に同博覧会の用地・施設等の経営を上信電鉄が引き継ぎ、施設も整備して「高崎フェアリーランド」として再出発した。1965年までは動物園もあった。1969年には、園内にプールを設け、プールの名称を「カッパピア」とした。プールへの人気が高まり、施設全体が「カッパピア」とよばれるようになったため、次第に「高崎フェアリーランド」の名称は一般的には使用されなくなった(運営会社の名称としては残る)。1980年代初頭にはタカラとのタイアップによるこえだちゃんランドを展開。 最盛期は年間60万人以上の来客者があったが、バブル崩壊後からは入場者数は年々減少し、少子化・娯楽の分散化により、1998年度には年間入場者数が過去最低の8万5000人を記録、その後も10万人台にとどまった。また末期には施設の老朽化も著しく、存続が困難な状況であった。2003年11月30日、42年間の営業に幕を下ろし閉鎖。閉園時に開園当時から残っていた遊具は、海賊船の形をしたジャングルジムとすべり台だった。 2004年2月9日、運営会社の「高崎フェアリーランド株式会社」が前橋地裁高崎支部に自己破産を申請。2月19日に破産宣告。負債は約10億1300万円。閉園後の約5年間、再開発などは行われず、無人の廃墟と化していった。廃墟の様子はテレビなどでもたびたび報じられた。若者などの不法侵入が後を絶たず、犯罪の温床となるとして社会問題となった。2007年1月23日夜、園内の建物(営業時には入場券売り場や売店のあった建物)から出火。鉄骨平屋建て600m²を全焼。原因は放火とみられる。翌1月24日、高崎市は高崎フェアリーランド側から土地、建物などを買収する方針を表明。購入額は5千 - 6千万円程度とみられ、金融機関への債権の返済に充てられる。市は跡地を自然公園として整備する方針であると報じられる(上毛新聞2007年1月25日付)。2007年4月、雑誌「実話ナックルズ」に連載されていたものをまとめた「廃墟本2」(ミリオン出版)に、当時の写真が巻末のグラビアなどに掲載。その後、公園の整備が進み、2011年7月時点で建物などはすべて撤去された。 2013年8月14日、高崎市はカッパピア跡地153,000m²のうち、南東部分の丘、5,000m²に2014年度から2年間をかけて、ドイツの世界的遊具メーカー、ケルナー社の遊具を設置した「ケルナー広場」を整備し、ヘンゼルとグレーテルに登場する「お菓子の家」や滑り台などを設置する計画を示した。計画によれば、ケルナーの遊具は、ぐらぐら揺れる上り棒や階段が斜めについた滑り台など斬新なデザインや構造が特徴で、子どもの冒険心を駆り立て、危険予知能力や、事故回避能力を高め、体力、運動能力の向上を図ることができるという。ケルナーの遊具を導入するのは、全国の都市公園で初めてである〔カッパピア跡地の公園整備で新方針 高崎新聞2013年8月15日、2014年7月26日閲覧〕。また、ケルナー広場の整備とあわせ、子ども用プールも整備される予定である〔観音山公園、平成28年開園めざす 高崎新聞2014年6月16日、2014年7月26日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カッパピア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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