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カツラシユウホウは、日本で生産・調教された競走馬。1957年の最優秀3歳牡馬。1958年の中央競馬クラシック三冠競走すべてに出走し、すべての競走で2着に入るという珍記録を作ったことでも知られる。 ※馬齢は、特記のない限り2000年以前に使用された旧表記(数え年)とする。 == 経歴 == 1957年9月29日に行われた中山競馬場の新馬戦でデビュー、同時に初勝利を挙げた。2着と1着を繰り返しながら朝日杯3歳ステークスに出走、重馬場での施行だったがこれに優勝した。これによって、啓衆賞最優秀3歳牡馬に選ばれた。 4歳シーズンはクラシック三冠路線の有力候補の筆頭として目され、年明けからオープン競走2戦を勝利した。しかし、皐月賞ではレコードタイム決着となった接戦の末にタイセイホープにクビ差敗れ、東京優駿(日本ダービー)ではダイゴホマレにハナ差で屈し、菊花賞でもコマヒカリに半馬身差をつけられて敗れた。同年の有馬記念のファン投票では得票数1位で選出されるが、故障により出走を回避している。 5歳では59キログラムの斤量を背負って中京記念を勝利し、4月の天皇賞(春)に出走した。しかし同世代の3番人気トサオーにクビ差で破れ、またしても大競走で2着となった。翌年11月のオープン競走2着を最後に引退した。 引退後は種牡馬になっているが、1972年に用途変更、以後の詳細は不明である。 3歳から6歳まで25戦に出走し、連対(2着以内)を外したのはダービー直後の中山4歳ステークス5着のみという非常に高い連対率であった。ファンの人気も集め、出走した競走うちの20戦で1番人気に支持されていた。 中央競馬の三冠競走で全て2着という記録は、タカハタが1952年に作った皐月賞・東京優駿・優駿牝馬(オークス)ですべて2着の「変則三冠競走全2着」や、ヴィルシーナが2012年に作った、桜花賞・オークス・秋華賞ですべて2着の「牝馬クラシック競走全2着」の記録があるが、「牡馬クラシック三冠競走で全2着」という記録は今のところカツラシユウホウのみのものである。管理調教師の藤本冨良は、「最後のツメが甘いという印象を受けるかも知れないが、この馬が出るときは、相手馬に走りすぎてしまうのが1頭いたということです。同じ馬には二度と負けなかったわけだから。私はそれまで、競馬に運なんかあるかと疑っていたんだが、その馬の運とか、馬主さんの運というものが、勝負にはついて回るんだなと感じたのはこの馬からですよ」と語っている〔『名馬づくり60年』p.211〕。 アメリカ合衆国の三冠路線では、1978年にアリダーがケンタッキーダービー・プリークネスステークス・ベルモントステークスの3競走で全て2着に入る記録を作っている。地方競馬では1995年の南関東地方競馬三冠(羽田盃・東京ダービー・東京王冠賞)でコンサートボーイが記録している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カツラシユウホウ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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