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カテリナ・ボンダレンコ : ミニ英和和英辞書
カテリナ・ボンダレンコ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


カテリナ・ボンダレンコ : ウィキペディア日本語版
カテリナ・ボンダレンコ

カテリナ・ボンダレンコKateryna Bondarenko, または ''Katerina Bondarenko'', , 1986年8月8日 - )は、ウクライナ・クリヴィー・リフ出身の女子プロテニス選手。2人の姉、バレリア・ボンダレンコ(1982年生まれ)とアリョーナ・ボンダレンコ1984年生まれ)とともに「3人姉妹のプロテニス選手」として活動していた。2008年全豪オープン女子ダブルスで、カテリナとアリョーナの姉妹ペアが初優勝を飾り、ウクライナ出身のテニス選手として史上初の4大大会優勝を達成した。WTAの自己最高ランキングはシングルス29位、ダブルス9位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
== 来歴 ==
ボンダレンコ家の3姉妹は、ともにテニスコーチである両親の手ほどきでテニスを始めた。末娘のカテリナは4歳からプレーを始め、2000年に14歳でプロ入りしたが、しばらくジュニア選手の大会に出場し、2004年ウィンブルドンのジュニア女子シングルス決勝でアナ・イバノビッチセルビア)を 6-4, 6-7, 6-2 で破って優勝した。2005年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのウクライナ代表選手に選出される。2008年全豪オープンでは、シングルスは1回戦でアラバン・レザイフランス)に敗れたが、姉のアリョーナと組んだダブルスで活躍する。姉妹ペアは準々決勝で第1シードのリーゼル・フーバーアメリカ)&カーラ・ブラックジンバブエ)を 6-3, 6-2 のストレートで破ると、準決勝でスペインペアのビルヒニア・ルアノ・パスクアル&アナベル・メディナ・ガリゲス組に勝ち、決勝戦ではビクトリア・アザレンカベラルーシ)&シャハー・ピアーイスラエル)組に 2-6, 6-1, 6-4 の逆転勝利を収めた。カテリナはグランドスラム大会で、ツアー経歴を通じて初めてのタイトルを獲得した。
全豪オープン優勝後、カテリナとアリョーナは全仏オープンでも女子ダブルスのベスト4に入った。全仏オープン終了直後、カテリナは6月の「エイゴン・クラシック」(イギリスバーミンガム開催、ウィンブルドン前哨戦の1つ)でシングルス初優勝を果たす。8月の北京五輪で、カテリナとアリョーナは女子ダブルス準決勝でビーナスセリーナのウィリアムズ姉妹組と顔を合わせ、“姉妹ペア対決”に 6-4, 4-6, 1-6 で逆転負けしたため、準決勝敗退ペア2組による「銅メダル決定戦」に回った。2人は銅メダル決定戦で地元中国ペアの鄭潔&晏紫組に 2-6, 2-6 で完敗し、女子ダブルスのメダルを逃した。カテリナはシングルス1回戦でエレーナ・デメンチェワロシア)に 1-6, 4-6 で敗れた。
2009年全豪オープンで、カテリナは初めてのシングルス3回戦に進出した。1回戦で第9シードのアグニエシュカ・ラドワンスカポーランド)を 7-6, 4-6, 6-1 で破って波に乗るが、3回戦で鄭潔に 2-6, 2-6 のストレートで敗れた。半年後の全米オープンで、カテリナはウクライナ人選手として史上初のシングルスベスト8進出を達成した。1回戦で第11シードのアナ・イバノビッチセルビア)を 2-6, 6-3, 7-6(9-7) で破ると、その後も勢いに乗って勝ち進んだ。初進出の準々決勝ではヤニナ・ウィックマイヤーベルギー)に 5-7, 4-6 のストレートで敗れた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カテリナ・ボンダレンコ」の詳細全文を読む




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