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カトリック連盟(、リーガ)は、神聖ローマ帝国において、1609年7月10日にプロテスタント同盟(1608年結成、ウニオン、ウニオーン)に対抗し、『カトリック信仰の防衛と帝国の平和』を旗頭に結成されたカトリック系領邦国家による同盟。フランスにおけるカトリック同盟に範をとったが、同同盟ほどに剛直ではなく、当初はプロテスタント同盟の政治的対抗組織として活動した。 しかしながら、住民レベルにおけるカトリック・プロテスタント両教徒の対立が高まるようになり、遂には、1618年5月23日プラハ窓外投擲事件が発生、両者の対立は頂点を迎え、三十年戦争の第一段階であるボヘミア・プファルツ戦争へと至る。 == 背景 == 第一回シュパイアー帝国議会(1526年)を確認する形で、1555年アウクスブルクの和議によりドイツ・ルター派とカトリック領邦諸国は戦争を終結させた。 同和議は以下の事項を定めた。 *225のドイツ諸邦の領主は自らの良心に従って、自領の信仰(ルター派かカトリック教会)を選ぶことができ、そして領民にはその信仰に従わせる(又は)。 *教会領に住むルター派は各自の信仰を続けることができる。 *ルター派は1552年のパッサウ条約以降にカトリック教会から獲得した領地を保つことができる。 *ルター派に改宗した司教領主は自らの領地を放棄する必要がある(''reservatum ecclesiasticum''の原則)。 すなわち、ルター派かカトリックのいずれが選択した領邦の住民は、領邦のそれと異なる宗派の信仰を維持できないこととなった。 同和議により、国内の宗教的対立は一時的に沈静化したものの、根本的な解決とはなっていなかった。新旧両勢力とも和議の内容を都合よく解釈し、特にルター派は、それを暫定条約に過ぎないとみなしていた。さらに、ドイツにもカルヴァン派が急速に拡大し、第三勢力を形成しつつあったが、アウクスブルクの和議はこれらの勢力を想定したものではなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カトリック連盟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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