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カナディアン・ウイスキー : ミニ英和和英辞書
カナディアン・ウイスキー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カナディアン・ウイスキー : ウィキペディア日本語版
カナディアン・ウイスキー[ちょうおん]

カナディアン・ウイスキー()とは、カナダ国内で、カナダの法律に従って作られる、ウイスキーである。かつては「one day whisky」とも呼ばれる劣悪な蒸留酒であったが、隣国アメリカ禁酒法の時代に生産を伸ばし、カナダで法律が整備された近年では、どの銘柄も一定以上の品質のウイスキーとなっている〔「かつてはone day whiskyとも呼ばれる劣悪な蒸留酒であった」というくだりは、蒸留酒が劣悪なであると言っているのではなく、今日のカナダではウイスキーと呼べない「劣悪なウイスキー」であったということを言っている。同国でウイスキーと呼ぶことが許されない蒸留酒であるため、この冒頭文では「劣悪な蒸留酒」という表現を使用している。このことに注意されたい。〕。なお、今日のカナダは世界的に見てウイスキーの生産量の多い地域の1つであり、日本においては、カナダをウイスキーの五大産地の1つとし、カナディアン・ウイスキーを世界五大ウィスキーの1つとして数えることが一般的となっている〔参考までに、日本で一般的に言われているウィスキーの五大産地とは、スコットランド、アイルランド、アメリカ合衆国、日本、そして、カナダである。そして、同じく日本で一般的に言われている世界五大ウィスキーとは、これらの地域で生産される、スコッチ・ウィスキーアイリッシュ・ウィスキーアメリカン・ウイスキージャパニーズ・ウイスキー、そして、カナディアン・ウイスキーである。ただし、日本以外の地域で、このような五大産地、五大ウィスキーと一般に言われているのかについては疑問も呈されている(詳しくは「ウィスキー」の記事を参照のこと)。よって、ここでは少なくとも、日本ではこのような見方がなされているという記述になっている。〕。
== 歴史 ==
カナディアン・ウイスキーの誕生は、一説によればアメリカン・ウイスキーの誕生よりもやや遅く(やや歴史が浅く)、1769年であったとされる。しかしながら、カナダで最初の蒸留器を備えた酒の醸造所が、ウィスキーの輸入の削減を目的として、現在のモントリオール付近に建設されたのは、1668年のことであり、カナダで蒸留酒の生産が始まったことをカナディアン・ウイスキーの誕生と考えるならば、17世紀後半にがカナディアン・ウイスキーが誕生していたともいえる。いずれにしても、カナダでのウイスキーの生産が本格化したのは、アメリカ合衆国の独立戦争後に、アメリカ合衆国の独立に批判的なイギリス系の農民が、当時はまだイギリスの植民地であったカナダに移住し、そこで穀物の生産を開始した頃であるとされている。
カナダでは18世紀の後半に穀物が過剰生産となり、その余剰穀物を使って、製粉所が蒸留酒の製造を始めた。当時の製粉業者は、製粉業が本業であったが、そのほとんどが副業として蒸留酒作りを行い、中には蒸留酒作りを本業にする業者も現れた。一説によれば1787年には、ケベックで3箇所、モントリオールで1箇所、蒸留酒の製造を専門に行う蒸留所があったとも言われる。また、一説によれば、1840年代には200以上の蒸留酒の蒸留所が稼動していたとも言われる。
そこで生産される蒸留酒は、その多くはアメリカ合衆国向けであった。ただし、この頃の製品は「one day whisky」とも呼ばれる粗悪品で、蒸留を行うと、ほぼそのままで(事実上熟成を行わずに)、1日後か2日後には製品として出荷するといった具合であったと言われる。なお、この蒸留酒は今日のカナダでは、同国の法律の関係で「ウィスキー」と名乗ることはできない。
カナダ・ウイスキーの代表的銘柄である「カナディアン・クラブ」は1856年にその蒸留所をオンタリオ州のウォーカーヴィルで創業している。当時、カナダでのウイスキーは樽での販売が普通だったが、「カナディアン・クラブ」は、ボトリングし(瓶に詰めて)、さらに製造保証書を付けて販売したという点で、カナダのウィスキー史の中では特筆に価する。
カナダでのウィスキーは、19世紀の後半までは、ライムギを原料としたものが主流であった。しかし、1850年代には連続式蒸留機が導入されたり、また、この19世紀の後半からはトウモロコシなども原料として使われたりするようになったことで、カナダのウィスキーは味などが変化した。今日のカナディアン・ウィスキーは、ライムギ以外にもトウモロコシがしばしば使用され、また、その蒸留過程において連続式蒸留機を使うのが普通である。したがって、今日のカナディアン・ウィスキーの特徴は、この頃に獲得されたと言える。
カナディアン・ウィスキーにとっての次の転機は、1920年1月16日からから1933年12月5日にかけて、隣国アメリカ合衆国禁酒法の時代に入ったことである。この禁酒法はアメリカ合衆国におけるウィスキー生産に大打撃を与え、また、当時アメリカ合衆国に盛んに輸入されていたアイリッシュ・ウィスキーは輸入禁止措置が取られたことでアイルランドのウィスキー生産にも大打撃と与えた。無論、カナダのウィスキーとて表面上は輸入禁止であったが、アイルランドとは違ってカナダは地理的に近く、それどころかカナダとアメリカ合衆国は長い区間に渡って国境を接しているという地の利をカナダは持っていた。アメリカ合衆国とカナダとが国境を接している区間は長く、監視しきれなかったために容易に密輸ができたのである。結果としてカナダのウィスキーは、アメリカ合衆国へと密輸されることとなる。
アメリカ英語では、bootleg(ブーツレッグ)に密造酒(=moonshine)という意味もあるが、bootlegは密輸された品、特に、密輸された酒を意味する語であり、カナダ産のウィスキーは、bootlegとして良く知られる品となる。ちなみに、ハイラム・ウォーカー社とシーグラム社は、アメリカ合衆国のミシガン州デトロイトへ小型の高速船を使ってデトロイト川を渡って簡単に密輸できるように、カナダのオンタリオ州ウィンザーにウィスキーの醸造と蒸留を行う設備を持っていた。なお、デトロイトとウィンザーとは、川の対岸に位置していて、距離はほとんどない。この他にも、禁酒法下にあったアメリカ合衆国の北部に居住していた市民は、休日になると自動車で国境を越えて、カナダで酒を買い求めるということもあった。
結局、アメリカ合衆国で禁酒法が施行されても、ウィスキーの消費量は変わらず、一説によれば、この頃にアメリカ合衆国で消費されたウィスキーの3分の2はカナダ産のウィスキーであったとも言われる。これらのことにより、カナダのウィスキー産業は大きく発展したのである。さらに、アメリカ合衆国で禁酒法が撤廃されても、良質なウィスキーの生産には長い熟成期間が必要であるため、アメリカ合衆国産の良質なウィスキーの出荷をすぐに行うことは不可能であった。アメリカン・ウイスキーが復活してくるまでの間に、カナディアン・ウィスキーはアメリカ合衆国内において、確固たる評価と人気を獲得する。
確かにアメリカ合衆国の禁酒法時代にカナダから大量のウィスキーが流入したこともカナダがウィスキー生産大国となる要因ではあるのだが、このことよりも、むしろアメリカ合衆国で禁酒法が撤廃された直後から、良質なウィスキーをアメリカ合衆国へ大量に供給し、これによってアメリカ合衆国で人気を得たことの方が、カナダをウィスキー生産大国にのし上げる効果としては大きかったのである。
そして、カナディアン・ウィスキーの持つ一般的な特徴は、第2次世界大戦後の消費者の嗜好の変化に合致していたために、世界的に飲まれるようになっていく。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カナディアン・ウイスキー」の詳細全文を読む




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