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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
カニングマン(cunning man、男性の場合)またはカニングウーマン(cunning woman、女性の場合)〔cunning man は「物識りな人」「器用な人」と和訳することができる。cunning は古くは「賢い」という意味であった。やや否定的な意味合いを込めて「狡猾な男」と訳されることもある。〕はイングランドの歴史において本職または副業として民間呪術に携わっていた人のことである。以下、男女問わない集合的な呼称としてカニングフォーク(cunning folk)と表記する(folk は人々の意)。このような人々は、しばしば魔法使い(wizard)、賢い人(wise man, wise woman)、呪医(witch doctor)、拝み屋(conjurer)とも呼ばれていた〔conjurer は降霊術師、魔法使いの意味で、一般にしばしば奇術師(手品師)の意味で使われるが、ここではいささか胡散臭いニュアンスを付加して「拝み“屋”」と意訳した。〕。デヴォン州以外の地域では近代までカニングフォークのことを指して白魔女(white witch)という言葉が使われることはめったになかった。 ==カニングフォークと魔女== カニングクラフト(cunning-craft、賢者のわざ)とウイッチクラフト(witchcraft、魔女のわざ、妖術〔witchcraft は本によっては「魔女術」とも「魔術」とも訳されているが、本項では「かつて民衆の間で魔女の仕業と信じられた害悪をもたらす呪術」という意味での witchcraft を「妖術」と表記する。〕)の関係については意見が分かれる。歴史学者のロナルド・ハットン(Ronald Hutton)は後者は純粋にヨーロッパの魔女狩りにおける民衆の幻想にすぎなかったと考え、そのため両者は峻別されると主張する。彼は「カニングフォーク」という言葉をブリテン諸島だけでなくイタリアやヨーロッパのその他の地域における民間呪術師に対しても用いている。 E・ウィリアム・モンター(E. William Monter)、エーヴォ・ポクス(Éva Pócs)、カルロ・ギンズブルグ〔(カルロ・ギンズブルグ『闇の歴史-サバトの解読』竹山博英訳、せりか書房)〕、グスタフ・ヘニングセン(Gustav Henningsen)といった他の歴史学者らは、キリスト教の聖職者や教会法学者から着せられた悪魔的外被を除くと、多くの諸個人がウイッチクラフトのステレオタイプに多くの点で適合する信仰と実践を有していたとし、その限りにおいて魔女はかつて実在していたと主張する。特にモンターは、イングランドのカニングフォークとフランスの白魔女との間の際立った類似性を確認し、両者が共通の信念体系から生じたものである可能性を見出している。 他の多くのヨーロッパの呪術の従事者と同様、カニングフォークは依頼人の苦しみの原因である魔女を特定することにより、魔女発見者の役割を果たすこともあった。「魔女」(害悪魔女)と「反魔女」(害悪魔女に対抗する呪術師)を区別することはヨーロッパ中でほとんどないが、地域の信頼された呪術師は反魔女とみなされた。一方でその地域社会の外部の呪術師は「魔女」とみられることの方が多かった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カニングフォーク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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