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カネケヤキは、日本の競走馬。1964年の桜花賞、優駿牝馬を制した二冠牝馬である。主戦騎手は野平祐二で、見習騎手が騎乗したオープンでの1戦をのぞくすべてのレースで騎乗した。1964年の啓衆賞最優秀4歳牝馬。サラブレッド牝馬最長寿記録を保持している〔週刊Gallop 2012年8月5日号 〕。 == 戦績 == 1963年10月、中山競馬場でデビュー。8番人気の低評価を覆して初戦を快勝。次走を2着とした後、オープン戦、中山の3歳牝馬ステークスと連勝して臨んだ朝日杯3歳ステークスは、1番人気に推されるも、ウメノチカラにアタマ差及ばなかった。 明け4歳となってからは、京成杯、弥生賞をそれぞれ6、4着と凡走、続くオープン戦も2着と敗れた。桜花賞では4番人気にまで人気を落としたが、先行抜け出しの競馬で2着のフラミンゴに2馬身差をつけ、快勝。この後、東京の4歳牝馬特別に勝利すると、本番の優駿牝馬はヤマニンルビーに3馬身差をつけ、二冠を達成。4歳牝馬の頂点に立った。 秋は、クイーンステークスから始動したが、同じ4歳牝馬のフラワーウツドに4馬身差の2着と完敗。続く、セントライト記念も勝ったウメノチカラから3馬身離された3着に終わった。 この後、京都に遠征。オープン戦を5着として、3冠を狙い菊花賞に臨んだ。シンザンとの二冠馬同士の対決となったが、近走の不調から、12頭立ての9番人気と言う低評価だった。 レースでは、他馬を大きく引き離しての大逃げをうつという奇策に出た。4コーナーまで粘り、直線で失速したものの、牡馬に伍しての5着と健闘した〔ただし、牝馬の菊花賞成績はそれほど悪くなく、2011年までに出走した牝馬44頭中、25頭が5着以内に入っている〕。 このカネケヤキの菊花賞出走が、二冠牝馬の最後の菊花賞挑戦となった〔1970年にビクトリアカップ(秋華賞、エリザベス女王杯の前身)が創設されたため〕。また、牡馬と牝馬の二冠馬が三冠をかけて対決した最初で最後の例となった。 この後は、5歳時にオープン戦を1戦しただけで引退、繁殖入りした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カネケヤキ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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