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カネツクロス(1991年 - )は日本の競走馬である。おもな勝鞍はエプソムカップ、鳴尾記念、アメリカジョッキークラブカップ。中央競馬におけるタマモクロス産駒初の重賞勝利馬である。 == 戦績 == 美浦の西塚安夫厩舎に入厩。 1994年1月31日東京競馬場での新馬戦でデビューするも5着に敗れる。最初の3戦は現調教師の柴田政人元騎手が騎乗していた。3戦目の未勝利戦、4戦目の500万下で連勝。 1994年12月の900万下から、後の主戦である的場均元騎手(現調教師)が騎乗する事になる。 デビューから年があけて1995年の4月、中山競馬場で行われた1500万下の春風ステークスを皮切りに、メトロポリタンステークス(オープン特別)、エプソムカップ (GIII) と3連勝を挙げた。 休みを挟んで毎日王冠では10着に敗れたものの、その後の大原ステークス、鳴尾記念(当時GII)、アメリカジョッキークラブカップ (GII) 〔この年は福島改装の関係で、東京競馬場芝2200mでの開催。2003年の改装以後は、東京芝2200mはコースが設定できない。〕とまたまた怒涛の3連勝を遂げた。特に、アメリカジョッキークラブカップでは上がり33.9秒の末脚で2着の優駿牝馬(オークス)優勝馬ダンスパートナーを全く寄せ付けない逃げっぷりであった。 しかしその後出走した日経賞では1番人気に推されたものの、2着と敗退。その後、天皇賞(春)を目指していた途中でザ石に見舞われ、同レースへの出走を回避する。それからの走りは精彩を欠き、結局一つも勝つ事が出来ないまま、引退した。種牡馬にはならず、現在は生まれ故郷のカネツ牧場で余生を過ごしている。 なお、1995年の鳴尾記念と翌年のアメリカジョッキークラブカップ、日経賞は管理する西塚安夫調教師が馬主名義貸しに関与した件で調教停止処分を受けたため、一時的に堀井雅広厩舎へ転厩しており、堀井調教師の管理の元で出走している。日経賞の後に西塚調教師の処分が明け、西塚厩舎に戻っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カネツクロス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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