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カフェー・プランタン()は、かつて存在した日本の飲食店である。1911年(明治44年)、銀座に開業し、「日本初のカフェ」〔安藤更生『銀座細見』中公文庫版P72〕とされる。 == 略歴・概要 == === 開店 === 東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)出身の松山省三〔河原崎国太郎の父で、松山英太郎・松山政路兄弟の祖父にあたる。〕が、美術学校時代の恩師・黒田清輝らに聞かされたパリのカフェーのような、文人や画家達が集い芸術談義をできる場所を作りたいと、1911年3月〔安藤前掲書P72による。松山自身の回想で、「文芸春秋」(1928年9月号)では明治44年3月、「嗜好」(1960年3月号)では明治44年4月としている。〕、友人の平岡権八郎とともに開業した。位置は東京府京橋区日吉町20番地(現東京都中央区銀座8丁目6番24号、銀座会館付近)で銀座煉瓦街の一角、周囲は新橋の花街で芸妓屋や待合が多かった。美術学校関係者の協力を得て煉瓦の建物を改装し、相談役の小山内薫が「プランタン」(フランス語で春の意)と命名した。その後まもなく、平岡は経営から離れた。 これ以前にも、1906年(明治39年)に開店した台湾喫茶店(ウーロン)やビヤホール、(メイゾン鴻ノ巣などの)西洋料理店と、類似の店は存在していたが、プランタンの登場によって、洋行帰りの人たちが口にしていたような意味での(サロン形式の店としての)「カフェーが初めて日本にも生れた」と評判を呼んだ。1911年にはプランタンに続き、ライオン(8月)、パウリスタ(12月)と「カフェー」を冠する店が銀座に相次いで開店した。(ライオンは精養軒の経営で料理中心、パウリスタはコーヒー中心と、店により特徴があった) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カフェー・プランタン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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