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公益財団法人ボーイスカウト日本連盟(ボーイスカウトにほんれんめい、)は、「世界スカウト機構憲章に基づき、日本におけるボーイスカウト運動を普及し、その運動を通じて青少年の優れた人格を形成し、かつ国際友愛精神の増進を図り、青少年の健全育成に寄与することを目的とする」〔団体概要 より。〕文部科学省所管の公益法人(財団法人)である。 == 沿革 == * 1908年 日本にボーイスカウト運動が伝わる。 *: 駐ベルギー日本大使だった秋月左都夫が、英国ボーイスカウトについての情報を日本に報告。 *: 広島高等師範学校の校長だった北条時敬が、万国道徳会議出席のためイギリス訪問の際にスカウト運動についての調査を行い、帰国後、広島などでスカウト運動に関する講演などを行う。 * 1910年 文部省督学官として英国留学から帰国した蒲生保郷が、英国ボーイスカウトに関する書籍を桂太郎首相と小松原英太郎文部大臣に贈呈し、政府に「日本でも少年団活動を検討すべし」との建白書を提出する。 * 1911年 *: ロバート・ベーデン=パウエル卿(以下 B-Pと表記することあり)が訪英中の乃木希典大将と会見。乃木は帰国後に片瀬海岸(神奈川県藤沢市)でボーイスカウト式キャンプを実施。 *: 横浜在住の実業家であり、日曜学校の教師でもあった英国人クレアランス・グリフィン (Clarence Griffin) が横浜第一隊(英国人12名、米国人3名、デンマーク人2名、ノルウェー人1名。グリフィン隊とも呼ばれた)を結成。 *: 神戸在住のイギリス人牧師フレデリック・ウォーカーがウォーカー隊(米国人を主とした27名)を結成。 * 1912年4月 世界一周旅行中のB-Pが日本を訪問。横浜第一隊 (グリフィン隊)を視察。 * 1913年 東京で小柴博らによって「少年軍」が設立(この“軍”は、いわゆる軍隊ではなく、救世軍を意図したもの)。大阪基督教青年会(YMCA)内でジョージ・グリーソン (George Gleason) によりスカウト活動を展開(「大阪少年義勇団」の母体)。 * 1914年 * 8月 深尾韶が静岡で「静岡少年団」を創設。 * 9月5日 「大阪少年義勇団」が正式に発会。 * 12月 東京の「少年軍」が「東京少年団」に改称。 * 1915年11月1日 大正天皇即位大礼の記念事業として、少年に対する社会教育事業の創設の議が有志者の間に起こり、その一環として「京都少年義勇軍」の結団式が平安神宮で行われる。 * 1916年8月 京都少年義勇軍によって日本のボーイスカウトによる初野営(キャンプ)が琵琶湖畔の雄松崎(滋賀県志賀町)で行われる。 * 1917年 訪英した二荒芳徳がスカウト本部を訪問。 * 1920年 第1回世界ジャンボリー。 *: 日本からは「東京少年団」の小柴博、「北海道岩内少年団」の下田豊松、「横浜インターナショナル隊」の鈴木慎(鈴木リチャード)の3名が参加。 * 1921年 ロンドンにおいて、昭和天皇(当時は皇太子)にB-Pが謁見し、英国ボーイスカウトの最高功労章であるシルバーウルフ章を贈呈する。 * 1922年 * 4月13日-14日 静岡で第1回全国少年団大会が開催され、ボーイスカウト、各地の子供会、宗教少年部、日曜学校少年団などが統合され「少年団日本連盟」が発足。総裁は後藤新平男爵、副理事長に三島通陽が就任。 * 4月15日?17日 英国エドワード・アルバート皇太子を迎え、東京で全国少年団員団技大会を開催。 * 1923年 * 関東大震災。少年団日本連盟による救援・奉仕活動が行われる。 * 神戸市に日本人が組織した最初のウルフカブである「須磨向上会ウルフカブ」が誕生。 * 副理事長の三島通陽の妻の純らが中心となり、「少年団日本連盟」の女子向け組織(ガールスカウト組織)として、「日本女子補導団」が設立。 * 1924年 * 第2回世界ジャンボリーおよび第3回国際会議に三島通陽ら24名参加。ボーイスカウト国際事務局に正式加盟。その後、佐野常羽がギルウェル実修所に入所。(日本人初) * 8月 福島県で第1回全国野営大会を開催。後藤新平総裁を初代総長に推戴。 * 12月 連盟歌『花は薫るよ』(作曲:山田耕筰、作詞:葛原しげる)を採用。少年団日本連盟に「海洋部」を創設。 * 1925年 第1回指導者訓練所を山中湖畔で開設。ちかい(宣誓)とおきてを制定。 * 1928年 日本連盟加盟規則の改訂。これにより、連盟に加盟する団体を3つ(ボーイスカウトの宣誓とおきてを採用した諸団体、前項と同様の海洋諸団体、それ以外の団体)に分ける、いわゆる“三部制”がしかれる。 * 1929年 第3回世界ジャンボリーに佐野常羽以下28名が参加。 * 1931年 佐野常羽がB-Pよりシルバーウルフ章を贈られる(同章を受けた日本人は昭和天皇と佐野の2名のみである)。 * 1932年 "三指礼問題"が勃発(当時の反米反英世論にのった軍関係者が、「敬礼とは五指であるべきで、英国かぶれの三指礼はやめるべきだ」とボーイスカウトの三指礼を批判・攻撃。同年10月20日の大阪毎日新聞に同趣旨の記事が掲載される)。 * 1935年 7月 少年団日本連盟が財団法人化して「大日本少年団連盟」に改称。 * 1938年 海洋健児部が「大日本海洋少年団連盟」として分離発足。 * 1941年 1月 政府の方針により、大日本少年団連盟、大日本青年団、大日本連合女子青年団、帝国少年団協会を解体し「大日本青少年団」に統合。初代団長は文部大臣・橋田邦彦。 * 1942年 6月 大日本青少年団が大政翼賛会の傘下となる。少年団体の統合に反対する旧・日本少年団連盟関係者が「財団法人健志会」を発足。 * 1945年 * 6月 大日本青少年団が解散し、全団員は「大日本学徒隊」に再編される。 * 8月15日 第二次世界大戦が終戦。 * 1946年 * 2月 三島通陽らがボーイスカウトクラブの研究会を開催。 * 12月 民間情報教育局(CIE)が関東におけるボーイスカウト運動の再建を承認。 * 1947年 1月 GHQの許可を受け、東京と横浜で活動再開。 * 1949年 * 4月 財団法人健志会を基として財団設立認可が下り、「財団法人ボーイスカウト日本連盟」が再発足。(通常総会でマッカーサー元帥を名誉総長に推挙) * 9月 全日本ボーイスカウト大会(後の日本ジャンボリー)が皇居前広場で開催。 * 1950年 * 6月30日 ボーイスカウト国際連盟に復帰。 * 10月 三島通陽が三島家別荘(栃木県那須塩原市)の土地と家屋を日本連盟に譲渡し、11月に那須野営場が開設される。 * 1951年 三島通陽が第4代総長に就任。1級スカウトの上に菊、隼、不二(富士)スカウトが出来る。 * 1952年 カブ、シニアー、ローバーの各プログラムを制定。 * 1956年 第1回日本ジャンボリー開催(長野県軽井沢町)。 * 1962年 B-P夫人オレブ・ベーデン=パウエルが来日(訪日は1962年と1966年の2回)。 * 1971年8月 第13回世界ジャンボリーが日本(静岡県富士宮市)で開催され、富士山麓朝霧高原に87カ国約23000人の青少年が集った。その跡地には静岡県立朝霧野外活動センターが建立されている。 * 1972年 ボーイスカウト日本連盟創立50周年パレードが東京・銀座で実施された。沖縄のボーイスカウトが日本連盟へ正式移管される。 * 1973年 第1回日本アグーナリー(国際障害スカウトキャンプ大会)開催(愛知青少年公園、現在:愛・地球博公園)。 * 1984年 第1回シニアースカウト大会(日本ベンチャー)開催。(南蔵王山麓) * 1988年 12項目あった「おきて」が8項目に整理統合される。 * 1991年 9月15日を「スカウトの日」として制定し、全国的な奉仕活動を展開する日とした。ローバースカウト部門(18歳以上)への女子の参加が認められる。 * 1995年 ビーバー隊から指導者までのすべての部門において、女子の加盟登録が認められる。 * 2001年 5月に、日本連盟呼称の英文表記変更が承認され、5月20日に従来のBoy Scout of NipponからScout Association of Japanへ変更になった。 * 2007年 第21回世界スカウトジャンボリーが英国で開催(参加者は4万人で過去最大)。 * 2010年 公益財団法人化に伴い、5月25日に、正式名称が「公益財団法人ボーイスカウト日本連盟」に変更された。第15回日本スカウトジャンボリー開催。 * 2012年 日本連盟創立90周年。第11日本アグーナリー開催。 * 2013年 第16日本ジャンボリーおよび第30回アジア太平洋地域ジャンボリー開催。 * 2015年 第23回世界スカウトジャンボリーが山口県きらら浜で開催される。今大会より新制服が導入される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボーイスカウト日本連盟」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Scout Association of Japan 」があります。 スポンサード リンク
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