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カブトヤマ記念(カブトヤマきねん)は、1947年から2003年まで行われた中央競馬の重賞競走(平地競走)である。 == 概要 == カブトヤマは1933年の第2回東京優駿(日本ダービー)に優勝したほか、現役時代、5度にわたるレコードタイムを更新した実績を誇る昭和初期(戦前)を代表する名馬。1947年、第二次世界大戦後に復活開催された最初の東京優駿で、カブトヤマ産駒のマツミドリが優勝。内国産種牡馬として初めてダービー優勝産駒を出したカブトヤマの業績を称え、1947年に中山競馬場で第1回の競走が開催された。第10回(1956年)からは東京(ただし1966、67年は中山)、1980年からは福島(1995、96年は新潟)と、開催場を変えて開催された。 中山開催の時代は菊花賞の前哨戦として出走してくる牡馬(ただし第1回と第4回は菊花賞よりあと)と、クラシック路線で活躍した牝馬が激突する、出走馬のレベルが非常に高い重賞競走だった。第1回の出走馬には皐月賞・優駿牝馬の変則二冠馬トキツカゼ、サラ系ながら桜花賞・菊花賞を制したもう一頭の変則二冠馬ブラウニー、上述の東京優駿馬マツミドリ、重賞未勝利に終わったものの種牡馬として成功を収めたシマタカといった錚錚たる面々が出走馬に名を連ね、その後もクラシック登録がなかった非運の名馬ウイザート、トキノミノル最大のライバルイツセイ、後の菊花賞馬ハクリヨウらその年の4歳馬の中でも強豪中の強豪が出走するレースだった。 東京開催の時代は施行時期が菊花賞の後に固定され、「残念菊花賞」という色合いが強いレースになったが、距離が長すぎる、輸送に弱いなどの理由でここ1本に勝負を懸けてきた馬が出走してくることもあり、やはりレベルが高いレースだった。その後クラシック路線で活躍した牝馬はビクトリアカップ(のちエリザベス女王杯)に向かうようになり、出走馬のレベルは低下。1974年からは古馬に開放され、併せて父内国産馬限定戦に変更された。 1970年代以前はクラシック路線以外では関東と関西の交流が少なかったこともあって、東京開催時代までの本レースは関西馬が出走してくることが非常に少なかったレースであり、福島開催に移行した第37回(1983年)のメイショウキングまで関西馬は1勝もしていなかった。 福島開催の時代も父内国産馬限定戦として開催し、福島記念と並ぶ、秋の福島開催の名物レースとして長年親しまれた。2003年の競走は開催スケジュールの見直しを図った関係で春季に繰り上げられたが、これが最後の開催となった。これは、種牡馬リーディング上位を争う内国産種牡馬の登場により、父内国産馬奨励の目的がほぼ達成できたという観点からである。なお、2004年からこの競走に替わる形で同時期・同距離で福島牝馬ステークスがスタートすることとなったが、回次は出走条件が異なることから、一旦カブトヤマ記念を廃止した上での新設扱いとして2004年を第1回とした。また、これと同時に愛知杯も牝馬限定に変更され、さらに2008年からは中日新聞杯も出走資格が父内国産馬限定から混合競走に変更され、これにより中央競馬の父内国産馬限定重賞競走が姿を消すことになった。 保田隆芳が非常に得意としていたレースで、3連覇1回、2連覇2回を含む8勝を挙げている。 なお、カブトヤマは東京競馬場では東京優駿で、福島競馬場では帝室御賞典で勝利を収めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カブトヤマ記念」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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