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カブル・カン : ミニ英和和英辞書
カブル・カン[かぶ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カブ : [かぶ]
 【名詞】 1. cub 2. (n) cub
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

カブル・カン : ウィキペディア日本語版
カブル・カン[かぶ]
カブル・カン(Qabul Qan、生没年不詳)は、モンゴルボルジギン氏モンゴル国の初代カン。トンビナイ・セチェンの子で、クトラ・カンの父。『元朝秘史』ではカブル・カハン(合不合罕、Qabul Qahan)、『集史』ではカブル・ハン(Qabul Khān)、『元史』では葛不律寒と表記。カブル・カンの子孫はモンゴル古伝承にちなんで、キヤン(Qiyan、乞顔)という氏族名を名乗って多くの氏族集団をつくり、結束してキヤト(Qiyad、乞牙)(キヤンの複数形)と称した〔村上 1970,65-66〕。
==生涯==
トンビナイ・セチェンが亡くなると、六男のカブル・カンが後を継いだ。
ある時、カブル・カンは妻のカラルク(Qarālqū)の兄弟であるサイン・テキン(Sāīn Tīkīn)が病気になったので、これを治すためにタタル部族のチャルキル・ノドイ(Charqil Nūdūī)という名のカム(巫者、シャーマン)を招いた。しかし、その巫術もむなしくサイン・テキンが亡くなったので、サイン・テキンの一族はそのカムを追いかけて殺してしまう。これ以降モンゴル部族とタタル部族との間に敵対心が生まれ、多年にわたって慢性的に戦闘・略奪が行われるようになった。〔佐口 1989,p27〕〔志茂 2013,p821-822〕
カブル・カンが金帝国に朝貢した時、並はずれた食欲の旺盛さで皇帝を驚かし、またある日、酒に酔って身の程を忘れて皇帝の髭に手を伸ばしたことがあった。酔いから醒めたカブル・カンは皇帝に自分の処罰を請うたが、皇帝はただ笑うだけで、赦免の意を示すために帰国することを許し、手厚い賜物を与えた。しかし、カブルが出発してすぐ後に、金朝の皇帝は廷臣のよこしまな進言に動かされて、急使を派遣して帰還を命じたが、拒絶されたため、金朝の使者は彼を逮捕しようとした。しかし、カブル・カンは巧みにこれを遁れて自分の住地に帰り、そこへ追跡してきた金朝の役人たちを自分の奴隷に命じて殺させた。〔佐口 1968,P27〕
カブル・カンは全モンゴル人を統べた。カブル・カンは遺言で、自分の7人の子供ではなく、セングン・ビルゲの子で又従兄弟のアンバガイを後継者に指名して亡くなった。アンバガイはカブル・カンの後を継いで第2代カンとなり、全モンゴルを統べることとなった。〔村上 1970,60〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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