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ニムルド(Nimrud)は現在のイラク北部ニーナワー県にある、古代アッシリアの重要な考古遺跡。ニネヴェ遺跡の南方、現代の都市モースルより南東30kmにありチグリス川に面している。遺跡の範囲は41平方kmにおよぶ。 アッシリアの時代にはカルフ(Kalḫu, Kalchu, Kalkhu)と呼ばれる都市であり、一時はアッシリア帝国の首都でもあった。後のアラブ人は都市の遺跡を、狩人の英雄でありアッシリア地方の強力な王であったニムロドにちなみ、ニムルドと呼んだ。 ニムルドは旧約聖書に登場する都市カラフ(カラハ、Calah, Kalakh)の場所と同定されている。 == 歴史 == 紀元前13世紀のアッシリア王シャルマネセル1世は、当時の首都アッシュールから北に離れたカルフに第二王宮を築き、以後1000年ほどの期間にわたってカルフは都市として存続した。 カルフの繁栄と名声が絶頂にあったのは紀元前9世紀、アッシュールナツィルパル2世が都としていた時代であり、彼は初期の都市の廃墟の上に巨大な宮殿や神殿を建設した。この宮殿の遺跡は現存している数少ないアッシリアの宮殿遺跡であり、ほかにはセンナケリブが築いたニネヴェの宮殿遺跡しか見つかっていない。 紀元前879年に行われた盛大な落成式や宴の様子は考古学調査の途中に発掘された石碑に刻まれている。アッシュールナツィルパル2世の都には数万人の人々が暮らした。市内には珍しい動植物を集めた植物園や動物園も開かれていた。その息子シャルマネセル3世(在位:紀元前858年 - 紀元前824年)は大ジッグラト、神殿、シャルマネセル砦と呼ばれる要塞などを建設した。 カルフは紀元前710年頃までアッシリアの首都であった。その後サルゴン2世がドゥル・シャルキン(コルサバド遺跡)へ、次いでセンナケリブがニネヴェへ遷都したためカルフは都ではなくなったが、なお大都市であり王の宮殿のある都市であった。紀元前612年にニネヴェが新バビロニアやメディア王国により陥落した時期、カルフも破壊されたとみられる。 ニムルドという遺跡名は、ドイツの探検家カルステン・ニーブール(Carsten Niebuhr)が1766年3月にモースルに滞在していた時の記録に初めて登場する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニムルド」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nimrud 」があります。 スポンサード リンク
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