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カリム・アラミ(, Karim Alami, 1973年5月24日 - )は、モロッコ・カサブランカ出身の元男子プロテニス選手。同い年のヒシャム・アラジ、2歳年上のユーネス・エルアノーウィと共に90年代から00年代前半にかけてモロッコのテニス界を大きく前進させた人物である。右利き。ATPランキング自己最高位はシングルス25位、ダブルス130位。キャリア通算でシングルス2勝、ダブルス1勝を挙げた。 == 来歴 == 1990年にプロ入り。その後暫くは下部大会での下積みが続くが1994年、地元のハサン2世グランプリでノーシードからの準優勝を果たしたのを契機にツアーレベルへの参戦が増え、翌年末には73位で終える事に成功する。初優勝となったのが1996年米国アトランタ大会。この大会の準決勝で当時世界ランク4位のマイケル・チャン(アメリカ)を6-4,6-4のストレートで下すという大番狂わせの末のものだった。更に同年9月に行われたパレルモ大会でも優勝。年間2勝を挙げた。 またオリンピックのモロッコ代表選手としてもバルセロナ五輪に単複両部門で、2000年シドニー五輪ではシングルス部門に出場しており、バルセロナ五輪では1回戦のマルク・ロセ(フランス)戦で6-2,4-6,2-1とした所で棄権。エルアノーウィと組んだダブルスも1回戦で戦わずして棄権する羽目になるという苦い敗戦を味わったが、2度目の出場となったシドニー五輪では1回戦で第10シードのフランコ・スキラーリ(アルゼンチン)、2回戦でジャンルカ・ポッツィ(イタリア)、3回戦でファブリス・サントロ(フランス)を倒す活躍を見せ、ロジャー・フェデラー(スイス)との準々決勝まで進出している。 デビスカップにおいてもそれまで地域ゾーンの1チームに過ぎなかったモロッコをアラジ、エルアノーウィと共に盛り立てていき、彼らがキャリアの全盛期を迎えた2000年代前半には最上位カテゴリのワールドグループに通算3度出場する等モロッコテニス界は栄華を極めた。(アラミは現在モロッコ代表の最多勝利・最多出場選手として記録されている) 引退後はカタール・エクソンモービル・オープンのトーナメント・ディレクターに就任し、大会運営の仕事に携わっている 。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カリム・アラミ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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