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カリン・バルツァー (Karin Balzer、1938年6月5日- )は、旧東ドイツの陸上競技選手。1960年代を代表する女性ハードラーで、1964年東京オリンピック80mハードルの金メダリストである。 == 経歴 == バルツァーは結婚する前はカリン・リヒェルトといい、若い頃から陸上競技のいろいろな種目に取り組んでいたが、80mハードルが自分にとって最も適性があると分かり、この種目に取り組んでいくこととなる。1960年には、ローマオリンピックの代表に選ばれるが、惜しくも決勝進出はならなかった。 翌年、元棒高跳選手のカール=ハインツ・バルツァーと結婚した彼女は、短期間ではあるが東ドイツから逃亡を企てた。しかし、数週間後には帰国した。その後彼女は、1962年のヨーロッパ選手権の80mハードルで優勝。1964年には五種競技で行われた80mハードルにおいて世界タイ記録をマークした。ただし、五種競技としての記録はさほどのものではなく、これ以後大きな大会では五種競技に出場していない。 同年の東京オリンピックでは、80mハードルの決勝では、ポーランドのテレサ・チェプラ(Teresa Ciepły)、オーストラリアのパム・キルボーン(Pam Kilborn)と同タイムの大接戦の末金メダルを獲得する。電気掲示では3位まで100分の2秒差に入る激戦であった。 1966年バルツァーはヨーロッパ選手権で2連覇を果たす。しかし、1968年メキシコオリンピックでは、優勝したオーストラリアのモーリン・ケアードから0秒3遅れの5位という結果に終わる。 1969年からは80mハードルは100mハードルと距離を伸ばされたが、この年に13秒3の世界新記録を樹立。9月のヨーロッパ選手権の100mハードルでは優勝し、80mハードルの時代から3連覇を達成、さらに1971年のヨーロッパ選手権でも優勝し4連覇を達成した。 1972年のミュンヘンオリンピックに4大会連続となるオリンピック出場を果たす。オリンピックの直前に長男が事故に遭遇。昏睡状態に陥り、100mハードルの決勝の直前に息子はこの世を去ってしまう。このことを夫は彼女に知らせず、バルツァーは2大会ぶりとなるメダルである銅メダルを獲得した。 バルツァーの次男であるフォーク・バルツァーもまたハードル競技の選手であり、1998年のヨーロッパ選手権の110mハードルで2位となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カリン・バルツァー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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