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『カリーラとディムナ』(Kalīla wa Dimna)は、アラビア語文学の物語。インドの寓話集『パンチャタントラ』を基盤とした寓話集である。 題名の「カリーラ」と「ディムナ」は物語に登場するヒョウの名前であり、第1編「ライオンと牛」の主人公カラタカ(Karataka)とダマナカ(Damanaka)の名前が転訛したものである。1644年にフランスで『ビドパーイ〔ビドパーイはピルパイと表記されることもある。〕の物語』という題で訳された〔田中於菟弥「パンチャタントラ」『南アジアを知る事典』(辛島昇ほか監修、平凡社、2002年4月。ISBN 978-4-582-12634-1)、639頁〕が、ビドパーイは物語に登場する哲学者の名前に由来する〔黒柳『ペルシア文学におけるカリーラとディムナ』、6頁〕。 イブン・アル=ムカッファが訳した版はアラビア文学最古の散文とされ、アラビア語散文の規範となっている〔『カリーラとディムナ アラビアの寓話』、343頁〕〔前嶋「カリーラとディムナ」『新イスラム事典』、189頁〕。 物語は、哲学者バイダバーがインド王の求めに対して、教訓を含んだ物語を語る形式をとっている。寓話には人間と動物が登場し、人間と動物を対等なものとしてみなすインドの精神世界が背景にあると考えられている〔『カリーラとディムナ アラビアの寓話』、338頁〕。ペルシア、アラブ世界の人間にはこうした価値観は奇異なものであり、ムカッファ以後にイスラム世界に動物寓話を描く人間がほとんど現れなかった理由とも言われる〔。 宗教から離れて、人生の幸福を追求する点に物語の特徴がある〔『カリーラとディムナ アラビアの寓話』、338-339頁〕。 == 歴史と普及 == サーサーン朝の王ホスロー1世によってインドに派遣された医師ブルズーヤが医学書と共に持ち帰った寓話集『パンチャタントラ』が元になっている。ホスロー1世の命令により、ペルシアにもたらされた『パンチャタントラ』はブルズーヤによってサンスクリットからパフラヴィー語に訳される。ブルズーヤは翻訳にあたり、『パンチャタントラ』に収録されている5編の物語に『マハーバーラタ』の3つの物語を加えたと言われる〔『カリーラとディムナ アラビアの寓話』、328頁〕。さらにその後、重訳の度に物語が追加されていく〔。 570年ごろ、シリアの司教代理巡察使ブードにより、パフラヴィー語版『パンチャタントラ』はシリア語に訳される〔。8世紀にイブン・アル=ムカッファによってパフラヴィー語版はアラビア語に重訳され、『カリーラとディムナ』が成立した。『カリーラとディムナ』はイブン・アル=ムカッファのアラビア語版を元として、シリア語、ペルシア語などの多くの言語に訳された〔蒲生「カリーラとディムナ」『アジア歴史事典』2巻、240頁〕。 11世紀末にはシチリア王国でギリシャ語に訳され、後にラテン語に訳される〔。1251年には、トレドのアルフォンソ10世の宮廷でカスティーリャ語版が完成した(en)〔ラファエル・ラペサ『スペイン語の歴史』(山田善郎監修、昭和堂、2004年7月。ISBN 978-4-8122-0323-1)、243頁〕。ギリシャ語版とカスティーリャ語に加え、ヘブライ語版と12世紀のペルシア語版により、『カリーラとディムナ』はヨーロッパに普及する〔『カリーラとディムナ アラビアの寓話』、329頁〕。 原典である『パンチャタントラ』の訳本と『カリーラとディムナ』の訳本は合わせて60か国語に訳され、約200種類の版が存在する〔。分布範囲は聖書に次ぎ、ゲーテの『ライネケ狐』、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの寓話、グリム童話、アンデルセン童話に影響を与えたと言われる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カリーラとディムナ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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