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イアンブリコス、あるいはカルキスのイアンブリコス(希: おそらくシリア語もしくはアラム語で ''ya-mlku'', "彼は王である"を意味する、245年 - 325年)は、シリア人〔 (1936). "The Unity and Diversity of the Mediterranean World", ''Osiris'' 2, p. 406–463 ; , "Iamblichus", 2.〕のネオプラトニズムの哲学者で、後期ネオプラトニズム哲学のとった方向性を決定づけた。彼はピタゴラス主義哲学を要約したことで最もよく知られているだろう。 ==イアンブリコスの生涯== イアンブリコスはシリアで最も代表的なネオプラトニストであり〔〔Dudley, Charles. ''Library of the World's Best Literature, Ancient and Modern'' (1899).〕、彼の影響は古代世界の広範な範囲に広がった。彼の生涯に起こったことや彼の宗教的な信念は完全には知られてはいないが、彼の信じた主要な教義は彼の現存する著作から浮かび上がってくる。スーダ辞典や、彼の伝記を書いたエウナピオスによれば、彼はシリアのカルキスの生まれである。彼は裕福で名の知れた家に生まれ、エメサ王家の祭祀王の子孫と言われていた。彼は最初の下に学び、続いて、ネオプラトニズムの創設者のプロティノスの弟子であるテュロスのポルピュリオスの下に学んだ。カルキスのイアンブリコスはポルピュリオスにテウルギア(神働術)の実践を反対されたことで知られる。その批判に対してイアンブリコスは自身の著作「エジプト人の秘儀について」 (De Mysteriis Aegyptiorum) で応答している。 304年ごろに、イアンブリコスは故郷シリアに戻り、アンティオキア周辺に当時存在し、ネオプラトニズム哲学者を輩出したことで知られる町アパメアに自身の学校を創立した。そこで彼はプラトン及びアリストテレスを研究するためのカリキュラムを立て、プラトンやアリストテレスに関する総括的な注釈を執筆した。ただしその注釈は今日では断片としてしか残っていない。プラトンやアリストテレスに加えて、ピタゴラスもイアンブリコスにとって至上の権威であった。イアンブリコスは「ピタゴラスの教義のコレクション」を書いたことで知られるが、本書は10巻からなり、何人かの古代の哲学者の抜粋を含んでいる。第1-4巻と、第5巻の断片が残っている。 イアンブリコスは卓越した文化と学識を備えた人であったと言われた。彼はその寛容さと自制心でも名声を博した。多くの学徒が彼を慕って集まり、イアンブリコスは彼らとともに和気藹々と過ごした。によれば、イアンブリコスはコンスタンティヌス1世の治世、おそらく333年以前に死去した。 イアンブリコスの著作は断片が残っているにすぎない。私たちは彼の哲学体系に関する知識をその他の著述家が残した断片に部分的に負っている。彼の5冊の現存する著書や彼のピュタゴラス哲学研究の断片と同様に、イアンブリコスの後継者たち、とくにの言及もまた、イアンブリコスの体系を明らかにしてくれる。これらを除けば、プロクロスは有名な論文「テウルギア」、つまり「エジプト人の秘儀について」をイアンブリコスに帰している。しかしながら、この著作とイアンブリコスの他の作品との間には教義の要点でいくつかの流儀の違いがみられるので、イアンブリコスは本当にこれの著者なのかと問う人もいた。しかし、この論文は確かにこの学派に由来するものであり、当時の多神教の教派の営みを思索的に正当化しようと周到に試みるうえで、この論文はイアンブリコスが立っていた歴史上の分水嶺となっている。 思弁的な理論として、ネオプラトニズムは始祖プロティノス以来最高の発展を経験した。イアンブリコスが導入したネオプラトニズムの修正は、周到にして綿密な形式的区分、ピタゴラスの数象徴主義のより体系的な応用、そして東洋的な体系の影響の下での、ネオプラトニズムに含まれる概念的だと考えられていたものの徹底して神秘的な解釈といったものであった。イアンブリコスは、魂が物質において具現化しているという思想を紹介し、物質は宇宙のそれ以外の部分と同じだけ神聖であると信じた。これは、彼独自の思想と物質が不完全なものだと信じていた先達たちの思想との間を分かつ最も根本的な出発点である〔プロティノスもまた物質を無つまり非存在であると「エンネアデス」で説明していた。 Plotinus "Matter is therefore a non-existent" Ennead 2, Tractate 4 Section 16 which is to express the concept of idealism in connection with the nous or contemplative faculty within man.〕。 このためにイアンブリコスは途方もない尊敬を持って見られたようだ。 イアンブリコスは門弟たちから強く尊敬された。彼は同時代人から奇跡の力もっているとみなされた。フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス帝は、エウナピオスによる自分はイアンブリコスに流儀においてのみ劣っているという少なめな称賛に満足せず、イアンブリコスをプラトンの再来以上の存在として扱い、イアンブリコスのある書簡のためにリュディアの金を捧げると宣言した。15世紀・16世紀に彼の哲学に対する関心が復活したころ、イアンブリコスの名は「神聖な」、「最も神聖な」といった形容辞をつけずに言及されることはほとんどなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カルキスのイアンブリコス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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