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カルザイ ( リダイレクト:ハーミド・カルザイ ) : ウィキペディア日本語版
ハーミド・カルザイ

ハーミド・カルザイ(、Hāmid Karzai、1957年12月24日 ‐ )は、アフガニスタン政治家アフガニスタン・イスラム共和国大統領(初代)。カンダハール州カルツ出身のパシュトゥーン人
アフガニスタン暫定行政機構議長、アフガニスタン・イスラム移行政権大統領を歴任した。
== 略歴 ==

*1957年12月24日:出生。
*1973年:王政打倒クーデターによる混乱に伴いインドへ出国。
*1979年ヒマーチャル大学ヒマーチャル・プラデーシュ州シムラー)で政治学歴史学専攻。
*1985年リール大学フランス)でジャーナリズム専攻。
1970年代末にパキスタンに移り、ムジャーヒディーンと接触し始めた。この頃、兄を頼って、一時渡米している。なお、アフガニスタン領内で直接戦闘に参加したことはない。
1982年、シブガトゥッラー・ムジャッディディーが率いるアフガニスタン救国民族戦線に加わり、その報道官となった。1987年、戦線の政治部長。
1992年ブルハーヌッディーン・ラッバーニー政権で外務次官に就任。1994年、ラッバーニー政権から離脱。

ターリバーン政権で誕生当初は同じパシュトゥーン人勢力として支持し、1996年、ターリバーンの駐国連代表に任命された。しかし、次第にターリバーンにパキスタンアラブ諸国の影響力が強まったため、反ターリバーンに転じた。父親がターリバーンに殺害されている。
2001年9月11日の「アメリカ同時多発テロ事件」以降、アフガニスタンにおけるアメリカ合衆国の協力者として実行犯を匿うターリバーン政権の打倒に活躍した。
12月22日に、アフガニスタン暫定行政機構の議長に就任し、2002年6月19日にはアフガニスタン・イスラム移行政権の大統領に就任。2003年2月には来日し、小泉純一郎首相らと会談を行ったほか、日本外国特派員協会‎記者会見を行った。
2004年10月の直接選挙へ出馬して当選し、同年12月7日に正式な大統領に就任した。2009年11月再選され政権は2期目になり、カルザイは汚職の撲滅を訴えた。
2011年8月11日憲法規定に伴い、2014年に行われる次期大統領選(3期目)に出馬しない意向を表明した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハーミド・カルザイ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hamid Karzai 」があります。




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