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カルチナートの戦い : ミニ英和和英辞書
カルチナートの戦い[かるちなーとのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

カルチナートの戦い : ウィキペディア日本語版
カルチナートの戦い[かるちなーとのたたかい]

カルチナートの戦い(Battle of Calcinato)は、スペイン継承戦争における戦闘の1つで、1706年4月19日に現在のイタリアロンバルディア州ブレシア県の都市カルチナートオーストリアフランス軍が衝突した。
1706年1月4日ニースがフランスの将軍・ベリック公ジェームズ・フィッツジェームズに落とされ、サヴォイアヴィットーリオ・アメデーオ2世グイード・フォン・シュターレンベルクピエモンテで身動きが取れなかった。イタリアのフランス軍を率いるヴァンドーム公ルイ・ジョゼフ・ド・ブルボンは戦局を有利にするため、ピエモンテとロンバルディアの繋がりを断つべく進軍、オーストリア軍は司令官のプリンツ・オイゲンが不在でデンマーク人のクリスチャン・デトレフ・レーヴェントローが代わりに留守を守っていた。
4月19日、ヴァンドームはオーストリア軍のキャンプに奇襲を仕掛け、オーストリア軍に大損害を与えてロンバルディアから追い立てた。オーストリア軍はチロル付近に逃亡、翌日に到着したオイゲンは6月まで軍の再編成に務めた。
ロンバルディアはフランス軍に平定され、サヴォイアの首都トリノも別のフランス軍に包囲され、事態はフランス有利に動いた。しかし、5月にラミイの戦いスペイン領ネーデルラントに進軍していたフランス軍がイングランドオランダ同盟軍に大敗したため、ヴァンドームがネーデルラントへ送られるとオイゲンはトリノへ向かい、奪還に動き出し進軍を開始した(トリノの戦い)。
== 参考文献 ==

* 友清理士『スペイン継承戦争 』彩流社、2007年。
* デレック・マッケイ著、瀬原義生訳『プリンツ・オイゲン・フォン・サヴォア』文理閣、2010年。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カルチナートの戦い」の詳細全文を読む




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