翻訳と辞書
Words near each other
・ カルラッツォ
・ カルラネイチャー
・ カルランティーノ
・ カルラン航空博物館
・ カルラ・エチェニケ
・ カルラ・オルティス
・ カルラ・クラリツ
・ カルラ・スアレス・ナバロ
・ カルラ・デル・ポンテ
・ カルラ・フラッチ
カルラ・ブルーニ
・ カルラ・ルエダ
・ カルラ国立公園
・ カルリスタ
・ カルリスタ戦争
・ カルリスタ王位請求者
・ カルリスタ王位請求者の一覧
・ カルリマコス
・ カルリーニョス・パライーバ
・ カルリーネ・モニカ・ポール


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カルラ・ブルーニ : ミニ英和和英辞書
カルラ・ブルーニ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カルラ・ブルーニ ( リダイレクト:カーラ・ブルーニ ) : ウィキペディア日本語版
カーラ・ブルーニ[ちょうおん]

カーラ・ブルーニ・サルコジCarla Bruni-Sarkozy または Carla Sarkozy, 1967年12月23日 - )は、イタリアトリノ出身の女性ファッションモデル歌手ニコラ・サルコジ仏大統領夫人。身長176cm。イタリア語読みでの本名はカルラ・ブルーニ・テデスキ(Carla Bruni Tedeschi)。モデル活動をする際には結婚前の名前である「カーラ・ブルーニ」を用いる。
== 生い立ち ==
1967年、イタリア・トリノにおいて、作曲家アルベルト・ブルーニ=テデスキ(1915年 - 1996年2月17日)を父、仏伊ハーフのピアニストのマリサ・ボリーニ(1930年 - )を母とする家庭に、カーラ・ジルベルト・ブルーニ・テデスキとして生まれる。ただし、アルベルトは法的な父であり血のつながりはない(後述)。姉は女優映画監督ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ1964年11月16日 - )。写真家の兄ヴィルジニオ(1959年 - 2006年7月4日)はエイズのため亡くなっている〔The Daily Telegraph'', ">''The Daily Telegraph'', 〕。
祖父(アルベルトの父)ヴィルジニオ・ブルーニ・テデスキは、北イタリアでCEAT社を創業し、イタリア第2位のシェアを誇るタイヤメーカーに育て上げた有能なユダヤ人実業家であった。しかしアルベルトは芸術家肌で美術品の収集に余念が無く、父から経営を引き継いだ会社を倒産させてしまった(会社は1970年代初頭にピレリ社に買収された)。一族はまだ多額の資産を所有していたが、当時左翼テロ組織「赤い旅団」による富裕層の身代金目当ての誘拐が相次いでいたことから、1975年に安全のため家族でフランスへ移住した。カーラは7歳からフランスで育ち、スイスのボーディングスクール(寄宿制学校)に入学した。
2008年にカーラが『ヴァニティ・フェア』誌に語ったところによると、カーラの生物学的な父親は、当時クラシック・ギターの奏者であった Maurizio Remmert(1943年 - )で、母マリサの13歳年下の恋人であった。Maurizio は、現在ブラジルサンパウロ在住の実業家である〔。
1990年代のファッション雑誌では名門貴族の家系と紹介されていたが、これは祖父の再婚相手が名門貴族の女性というだけで、父親もカーラも貴族の血は受け継いでいない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カーラ・ブルーニ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Carla Bruni 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.